ビジネスとアートの関係を考えてみました。

「ビジネス」と「アート」

いくつかの言葉が頭に浮かべながら、その関係性を紐解いていく。というのを趣味でやっているのですが、最近では上の二つの言葉がぐるぐる回っています。

気付けば、店を運営していく中でたくさんのアーティストさんと出会い、仲良くしていただいています。フリーマガジンもたくさんの方にご協力いただきながら進んでいます。お楽しみに。

アーティストさんが作るもの=作品。SeeQが作るもの=製品。

でも、作品にも値段はつくし、製品にもアート性が込められている。不思議な感覚です。「作品」「製品」はあくまでジャンルの名前で、そこに含まれているものは全く違うものではないんですよね。

こう考えている間にも、作品や製品はたくさん生まれているわけで、社会も文化も回り続けてる。とかく気にすることでもないんですが、アーティストさんと何かを一緒に行いながら、スタッフと一緒に店を運営する。

そんな立ち位置にいる自分だからこそ、イベントや作品、製品など、一つの物事に含まれる[アート性]や[ビジネス性]を分析する必要があるのかと思います。

「作品」と言われるものに「アート10%」「ビジネス90%」を感じさせてしまうとおそらく、違和感を感じますよね。

「製品」と言われるものに「アート90%」「ビジネス10%」ばっかりだとお店が回らなくなります。

だから、ビジネスに含まれる要素、アートに含まれる要素を細分化して、一つの物事の含有率を調整して世に送り出す。この精度を上げることを最近ようやく意識できるようになってきました。

なんでビジネスは嫌われるのか。

ビジネスってよく嫌わますよね。意識高い系=揶揄される対象。少し寂しい気もします。その大きな理由が↑で書いたように見せ方がずれていることが多いのかもしれません。

「その時求められてる」ものに適正な価値をつけて世に送り出す作業

これでいいはずなんですよね。求められてるから作る。求められてるから売る。シンプル。だけど、本来スパイスのはずの着色やストーリー付けがメインにきたり、雑になっちゃうと違和感を感じるんだと思います。

なんでアートは難しいのか。

僕自身、美術教室を1日でやめるくらいアートと程遠い人生を歩んできました。今も絵は全く描けません。ただ、今は余暇時間の中心がアートに触れることになっています。

アートってなぜか高尚なものに聞こえて、遠くに感じますよね。「理解できていないものには口を出すな」そういう文化の果てなのかもしれません。今の僕にとって政治がそんな感じです。

具体的なものは分かりやすく、抽象的なものは分かりにくい。抽象的なものを具体化していく。そうするとより分かることも増えていきます。

アートは作者の今を切り取る一つの方法

そう意識して見ると、わかりやすくなってきます。作者のその時の感情や背景を楽しむということを理解できてから、よりアート作品を気軽に楽しめるようになりました。

作者の今を切り取った一つの作品と、今の自分が向き合って、色んなことを考えたり、感じる。それでいいのかと思います。2020年に作られた作品は、何年経っても2020年に作られた作品なんですよね。これってすごいことです。(時間の経過も作品の一部と捉えるものもありますが割愛)

アートとビジネス。どちらも大事。

どシンプルですが、これが全てだと思います。ただ、自分が伝えたいことをビジネスの中で取り入れすぎたり、お金を回すことをアート作品でうたってしまったり、そういうボタンの掛け違いがそれぞれから距離を置くきっかけになってしまいます。

最近仕事として行うことには「ビジネスの濃度」を、自分のアウトプットとして行うことには「アートの濃度」を高めて発信することを試しています。

きっぱり分けた方がいいのか。それともどちらも含まれた方がいいのか。僕もまだ分かりません。ただ、試して続ける今を積み重ねた結果が、未来の今に繋がるのだと思います。




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