未来を生きる暇人化すること。
スマホのアプリをできる限り減らしてはみたものの、ふとした時に手を伸ばすちゃうのが現実。
ということで、集中したい夜には↓のような箱に放り投げるのですが、先日タイマーの設定を3時間のつもりが、30時間にして丸1日以上放置することになりました。
あの人のLINEは自分のスマホにしかないなーとか、あのデータ取り出したい、、とか手が届く距離なのに、触れないとなると意外にモヤモヤ。
ただ、30時間ぶりにご対面となったスマホも、やりたかった作業(15分程)が終わると全く魅力的に感じなくなりました。
スマホ=情報の集合場所とすると、集まってきた情報を消費してしまえば、魅力はないんだと思います。でも、色んな方面から集まる情報は今や無限に等しいので、ずっと絶妙に心地いい刺激を与えてくれます。スマホ、すご。
何でスマホって触っちゃうんだろーって改めて考えてたのですが、
そもそも情報の蓄積は「今生きることを約束された生き物にとっての未来の準備」です。
ご飯を食べる、雨風をしのげる家で寝る、誰かと話す。生きるのに必要なラインって割とこなせるようになってると思います。ですので、今日生きることはクリアできたな、じゃあ明日の用意だ。ってなります。
そうなること自体、人って特殊なんですが、情報を集めることって明日生きる為に必要なことなんですよね。その情報を集めるツールがスマホ。極端な言い方ですが、スマホを触ってる時って「今」ではなく「未来」を生きてるに近いのかと思います。
スマホ登場の頃って、「色々すぐに調べられて便利」って触れ込みでいい情報をキャッチするツールとして使われてたと思いますが。それが最近はマストで持っておかないといけないものになってて変化を感じます。
良い未来を描けた時にでるドーパミン、そのドーパミンがより放出される情報に行きつくまでひたすたスライドを重ねるのって「未来を生きる準備をしてる暇人」のようです。現代人はドーパミン中毒ですね。僕も含めて。
最近は意識的にデジタルな情報との距離感を大事にしています。もちろん現代的な生活をする上で必要な数字・情報は間違いなくあります。ですが、未来を生きすぎるがあまり、今日を生きれなくなると寂しい部分もあるんじゃないかと思い、今日は文字を起こしました。
何が大事かって本当に人それぞれだし、一概には言えませんが、たまにはのんびり風にあたったり、ぼーっと動物を眺めてたりしたいですね。
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