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noteを始めてから初投稿までに4ヶ月かかった話

note6か月継続記念のバッジを獲得した。
個人的な感覚として、6か月はまだまだ浅瀬。
だけど、継続記念のバッジの色は遂に金色になった。

しかし、私が初めてnoteに記事を投稿したのは2月17日。
たった2か月前の出来事だ。

noteのアカウントを作って、記事を投稿し始めるまでにかかった時間は4か月。
その4か月を振り返ると、めちゃくちゃ自分の性格が出ていたように思う。


私がnoteにアカウントを登録してすぐに記事の投稿を始めなかった理由は、ずばり記事のストックを作ろうとしていたから。

noteを始めた当初、誰に公言するわけでもないけれど、週1で投稿しようと思っていた。
だけど、規則正しい継続なんてのは大変なもので、いつかは「だめだ今週は書けないや」って時がやってくるようになる。
何事にも怠惰な自分なら尚更だ。
だから、そんな時に切れるカードが欲しかった。
ある程度ストックが溜まったら週1ペースで投稿を始めよう、と思っていた。

しかしまあなんと見事な惰性だ。
一向に記事が仕上がる見込みがない。
記事を投稿しないと、記事を書かないのだ。

週1で投稿すると決めてもどうせ守れないと自分で憶測できるレベルに怠惰な人間が、計画的にストックなんて作れるわけがなかった。
考えてみれば当たり前の話。

そうして断片的なアイデアだけ富んだメモと睨めっこして、「これ書きたいなー」「あれを先に書こうかなー」なんて考えているうちに、文章が生まれないまま月日だけが過ぎた。


私はアイデア屋。
だけど、いつも自分の手では実現できないようなレベルの高いものを想像してしまう。

大学で考える研究は簡単なものでいいのに、思いつくのはいつだって、院進しないと実現できないような高度なもの。
小説を書こうとしたって、初めは1つ2つプロットで書き始めたっていいのに、書こうとするのは必要以上に壮大な物語。

何にしたって、理想が高い。
そうして結局実現できず、消化不良になる。
noteだって、行き当たりばったりで書いてもいいのに、思い描いたのは定期更新。
おまけに書く内容も簡易化できず、雑多日記系にしては非常に抽象的で文章量も少々長め。
だから、書くのに労力が要る。

先日、ストレングスファインダーをやってみた。
「最上志向」がランクインした。
「最上志向」とは、強みを最大レベルにしようとする素質。
早い話が完璧主義みたいなことらしい。
合点がいった。
いつも、完璧を作ろうとしてしまう。
目標を必要以上に高くしてしまう。


私のnoteの週1ペースは最近崩れた。
最初、私は毎週水曜日に更新していた。
別に「毎週水曜日更新」なんて掲げていたわけではないけれど、また悪いこだわり癖が出て水曜更新を保とうとしていた。
それが、「今週出したい記事が書き上がらない」という状態になることで、崩壊したのだ。

正直、それでよかったと思う。
なんだか、呪縛から解き離れた気分。
結局週1ペースは続いているけれど、曜日の統一性は消えた。
「週1ペース」は「だいたい週1ペース」になった。
だから、noteが前よりもちょっと気楽。


結局、高い理想を持ってnoteを始める必要なんてどこにもない。
TwitterもInstagramもその他のSNSやアクティビティーとも繋げずにnote書いたって、誰も注目はしないわけだし。
ビジネスも絡んでいないし。

律儀に毎週水曜日に更新する意味なんて、言語化しにくい抽象的な内容を多大な労力をかけて文章にする意味なんて、砂粒ほどあるかないか。

だけど、私は自分自身をnoteの読者に設定した。
あくまで、自分自身の心の中を形にするためのnote。
だから、明らかに無意味そうな行為でも、こだわろうとしてしまった。

だけど、noteはありのままの自分でいられる場所。
無謀な計画を考えがちな性格も、なかなか文章を作らない怠惰な性格も、noteの中ならそのまま曝け出したっていいんじゃないだろうか。

少なくとも、怠惰で無意味な空白の4か月は、今こうして記事に昇華された。
あの4か月がなければこの記事は生まれなかった。
この記事に4か月費やす価値があるか否かは問題じゃない。

ここには、間違いなく「私」が表れている。

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