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センシティブ記事公開前夜

本当はつぶやきにしたかった話だけど、140字ではどうにも足りなかったので記事のフォーマットで失礼します。

だから、記事みたいな見た目してるけど、これはつぶやきです。
つぶやき(特大サイズ)。

※結局、1000字オーバーになりました。





私は今、とある下書きを抱えている。

とっとと書いて出してしまえばいいじゃないか、と言われればそれまでの話だと思う。
だけどそれがどうにも、センシティブでデリケートで強烈な表現を含んでしまうものだから、躊躇してしまうのだ。



......話が見えないな。

つぶやきにするのやめたし、140字に収まらなくてもいいわけだから、この際はっきり言ってしまおう。
当の下書きは「自死」をテーマに含む。


私は決して、誰かの自死を後押ししてしまいたくないし、実際に記事でも自死を推奨しないことは言っている。

だけど、どれだけ断りを入れたとしても、万が一にひとりでも私の記事をきっかけに自死の意を固めてしまったら、と思うと投稿を躊躇してしまう。

(だいたいそんなに自分の記事読む人いないでしょ、とかそういうツッコミは置いといて)



何かをインターネット上に投稿するとき、それが本当に発信していい内容なのか、ちゃんと考える。
耳にタコができるほど聞いたネットリテラシーの基礎の基礎。

ちょっとした言動が誰かを傷つけ、正当な批判と過剰な批難を招く。
はっきり言って悩むくらいなら投稿しない方が無難なのは間違いない。


だけど、それを踏まえて「じゃあ、とりあえずやめとくか」ってなるのは違う気がする。

せめてnoteでは自分が本当に思うことを表現していたいから。
自分の気持ちの整理のために始めたnote。
当然、不特定多数が閲覧できる場である以上一定の配慮は必要だけど、何かにつけて「一応出さんでおくか」を繰り返していったら本音なんて書けやしない。


そもそも、誰も傷つけないとか、間違った道へ導かないとか、絶対に誰にも悪影響を与えない創作や表現など存在しないはず。

たたえ自死というテーマとは無関係な音楽や映画であっても、誰かがそれをきっかけに自ら命を絶ったという話もあるはずなのだ。誰も気づいていないところで。

突き詰めてしまえば、「誰に対しても無害な創作を」と言い続けるには無理がある。


とはいえ、「だったらもう自分が今書いているものも出しちゃえ」っていうのも、やっぱり違う。

「他の創作も少なからず誰かを傷つける可能性はある」だなんて、自分の表現の正当性を主張する根拠にはならない。
きっと、都合の良い考え方にあやかった思考停止にすぎないもの。
それこそ、ネットリテラシーの崩壊だと思う。

事実、私が下書きに抱えるテーマは自死。
とてもセンシティブ。


すごく繊細なものだから、ちょっとでも善い形で、安全な形で投稿したい。
ただ、それだけのこと。








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