見出し画像

誕生日はいつも夏休み

子どもの頃の誕生日って、なんだかとても特別だったな。




生徒や学生の夏は長い。

夏休みのせいだ。

そして私はいつだって、その長い夏休みの中で誕生日を迎えてきた。

これは、私が幼稚園児の頃から高校生くらいの頃にかけて、夏休み中に誕生日を迎えることへの印象が変わっていったっていう話。



幼稚園児の頃。

私の通っていた幼稚園では、お誕生日会みたいなイベントが毎月行われていた。
プレイルームに学年みんなが集まり、その月に誕生日を迎える園児を祝うというもの。

しかし8月だけは幼稚園に通う日がひとつもないので、7月だったか9月だったかに合併されて祝われていた。
だから、8月生まれの私はどうにもタイムリーに祝われている気がしなかった。

加えて、幼稚園の教室の壁にはクラスみんなの誕生日がまとめて貼られていた。
だから、誰かが誕生日になったら必ずみんな気がつくし、教室でお祝いができていた。

当然、私がその日に幼稚園にいることはなかった。
誕生日に、クラスのみんなに祝われなどしなかった。


だから、夏休みでも冬休みでも祝日でも何でもない日に生まれてきた子たちが、羨ましかった。

だから、夏休みの中にある誕生日が、あまり好きじゃなかった。
運が悪いなあ、って思っていた。

それが、誕生日への思いの源流。




しかし、それから幾つも歳を重ね、気づけば誕生日が夏休み中にあることをラッキーだと思うようになっていた。

誕生日に学校にいることなどなく、自分の誕生日がタイムリーな話題になどなりえないのが気楽だった。


中学や高校になる頃には、仲良くなった人と教え合わない限り互いの誕生日を知り知られることなどない。

その上で、誕生日当日に、自分がきょう誕生日であるという事実を抱えて学校で一日過ごさなくていいということが、なんかよかった。

これ以上なく気楽で平穏な、誕生日の設定日時だと思った。



特に中学や高校と上がっていくにつれて、人の誕生日にできることは増える。
財力も、行動力も、自由も増していく。

中学生にもなる頃には自力でプレゼントを探しに彷徨える行動範囲はすごく広くなっている。
高校生にまでなってしまえば、友達へのプレゼントとかお菓子とかを勝手に学校に持って行ってちょっとしたお誕生日会をやったって誰にも咎められたりしない。

幼稚園児だった頃と比べ、自分の誕生日を知っている人は減っていく反面、誕生日に作ることのできる思い出の可能性は大きくなっていく。

私だって、自分の誕生日が夏休みに来るのが気楽とは言ったけれど、誕生日という概念そのものが嫌いになんてなっていないし、むしろ人の誕生日をお祝いするのは好きだった。


高校生のとき、とある友達の誕生日に向けて共通の友達とお祝いの計画をしたときのアクシデントだって、今も鮮明に覚えている。
そのときは、高校生の財力で賄えるプレゼントとクラッカーを買って学校へ持って行った。
昼休み、大量のクラッカーを撃ちながら教室に突撃するつもりだった。
そんな悪い計画をした当日の朝、念のためクラッカーをひとつ試し撃ちしたら思ったより威力が強く煙も出た。
それで結局、火災報知器が反応したりとかで騒ぎになるリスクを鑑みて打つのをやめた。
線引きはちゃんとできる賢い高校生だった。

それは紛れもなく大切な思い出。
用意している側としては楽しかった。
だけどそれを楽しむと同時に、逆の立場になりたいとは思わない自分がいた。


自分の誕生日が夏休みじゃなかったら、というもしもの話を想像した。
自分が祝った友達が、逆に自分を学校で祝ってくれることを考えた。

友達がどんなプレゼントをくれるのだろうか。
そもそもプレゼントなんて用意してくれるのだろうか。
くれたとして、うまくリアクションできるだろうか。
そのプレゼントは、私にとってどれくらい嬉しいものなのだろうか。
その日までに、友人たちは私の知らないところでどれだけ何を考えてくれるのだろうか。

そんなことばかり考えていた。

自分の誕生日に学校があるという会う名目があることで相手を必要以上に慮ってしまうのであれば、自分がそこで祝われる側になんてならなくていいのかもな、って考えた。


それから、学校のみんなは知らないところで毎年しれっと誕生日を迎えられるのはなんだか幸せだな、と感じるようになった。



まあでも結局、夏休みでも親しい友人には誕生日を祝ってもらえる。
当然それは素直に嬉しい。
そしてそれが学校という多数の人間が集っている場所での出来事じゃないだけで、やっぱり幾分か気楽だ。

だからやっぱり、この8月の誕生日は、気楽で嬉しいラッキーな日。



そして、気づけばもう大人になってしまった私は、これから何十年も夏休みという概念すら失った中で歳を重ねていくことになる。

何十年後、誕生日に対する考え方がどう変わっていくのか、楽しみなような、別にそうでもないような。

まあどうせ、いろいろ新しく考えを得ることになるんだろうな。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?