マレーシアのどうしようもないコンビニ店員


#炭酸が好き

19歳、コロナが流行る直前の夏、私は一人でマレーシアに旅立った。
語学留学したいと高校生の頃から思っていたものの、色んな事情で叶わず一度も日本から出たことがなかった。しかし大学生になってバイトで貯めたお金で、初めて1週間だけマレーシアに旅行に行くことを決意した。

マレーシアの首都クアラルンプールは、当時の私にとって衝撃的な光景だった。ブランドの入ったでかいショッピングモールが立ち並ぶ中で、少し歩けばスラム街のようだった。ゴミだらけの道、謎のスパイス臭、物乞い、野良犬…何人かわからないけど全ての人種がいるように見えて、十代の無防備な私だけがあまりにも一人ぼっちだった。

辿り着いたホテルのロビーで、「もうここからどこにも出たくない。」とスマホを握りしめて俯いていたのをはっきり覚えている。冗談ではなく、一歩でも外に出たら野犬に噛まれるか、車に轢かれるか、銃で撃たれて死ぬと確信していた。十代というのは痛々しいまでに想像力豊かで繊細である。町中から香ってくる謎のスパイス臭が全身の毛穴に突き刺さるようだった。安心安全無味無臭の日本が堪らなく恋しくて、一秒でも早く帰りたかった。

ひとしきり落ち込んだ後、私は外に出ていた。ホテルのチェックインまで時間があり暇だったからだ。十代というのは立ち直るのも死ぬほど早い。さっきまで相当バッド入ってたのに、いきなりショッピングモールや水族館を回り始めた。フードコートでご飯を食べて、スタバに行って、マレーシア四回目の人の顔をして歩いていた。

ひとしきり暇を潰して、ホテルのチェックイン時間が来たので最後はコンビニに立ち寄った。「Kマート」だか「Qマート」だか忘れたけど、そんな名前のマレーシアのコンビニチェーンだった。

マレーシアのコンビニは面白かった。謎のお菓子や謎の飲料が沢山置いてあった。キットカットの丸いやつがあって、「キットカットの丸いやつ?」と思って手に取った。あとはマレーシアのオリジナルブランドっぽいオレンジの濃縮還元の炭酸飲料を持って、レジに持って行った。

「Hi!」とレジのお兄さんに話しかけられたので、アイムジャパニーズ、日本から来ただとか当たり障りない会話をした。ボーイフレンドと来たの?と聞かれたので、一人だと答えたら驚いていた。
彼は会計後、スマホを取り出して電話番号を教えてくれと言いだした。面食らったけど、教えてあげた。買い物が終わって外に出たけど、何が何だったのかさっぱり意味がわからなかった。

もしかしなくてもあれはナンパか?勤務中に?なんだそれ自由すぎる。
思い返せばマレーシアの働く人たち、あまりにも自由で適当だった。フードコートではおばちゃんにご飯を食べながら接客された。空港のバス乗り場で尋ねた係員の若い女子達はぺらぺらおしゃべりしていて、駅名を言うと振り向いて「I don't know.」と鼻で笑われた(かなしい)。

私は当時、一生懸命やっているのにバイトをいくつもクビになっていた。日本の店員さんは全員超能力者である。場を読んで先回りして動き回れない者に人権はない。一秒でもぼーっとしていたら怒号が飛ぶ。飲食でもコンビニでも塾講師でも、私はひたすら怒られまくっては辞めていた。
こんな私でもマレーシアで働いたら、確実にエリートだろう。ごはん食べながら接客しないし、会計中にナンパしないし、客に聞かれて「知らんよ(笑)」とは答えないし。将来万が一就職できなかったり、仕事できなくて何もかもだめになったらマレーシアでコンビニ店員をやろうと決意した。

その後、コンビニで買ったオレンジの炭酸飲料を飲んで、あまりの美味しさに感動してインスタにあげた。
なんやかんやで一週間楽しんで、最終日にはスパイス臭も命の危険もまったく感じなくなっていて、自分の楽観さ加減にびっくりした。

日本に帰ってから、あのコンビニで買ったオレンジの炭酸が普通に日本のどこでも売っていることがわかって恥ずかしくなったのと、全くタイプじゃなかったコンビニ店員の彼から電話がかかってきて萎えた。即着拒してしまったけど、元気だといいな。

また行きたいなマレーシア。
店員さんのことディスっちゃったけど、実は色んな温かい対応もしてもらって無事日本に帰ってこれた。あの適当で自由なのにシャイで、爽やかで優しい人たちにまた会いたいな。


おしまい


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