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変わりつつある父

父は介護度4で、ずっと在宅でみてきたけど、母も私も限界を感じたので、今は、ショートステイと在宅を半々にして乗り切っている。

父は、施設にいる時は、早く帰りたがり、自分の要求をおしつけるばかり。先日、母がめまいをおこして、病院へ連れて行ったり、世話をしている時に、父の帰りたいメールがしつこく入り、さすがの私もキレた。
キツめの言葉で、
「お父さんの要求を全部聞いていたら、誰かが無理をして倒れるし、今、まさにお母さんの体調が悪いのに、どうしたいの?次は私が倒れてもいいの?」と言ってみた。

また、私の旅行前に、ごねた時も、
「私は、旅行に行くことも許されないの?」と言ってみた。

それからは、しばらくメールもしてこずに、おとなしくしていた。
久しぶりにメールしてきたら、
「今度迎えに来てくれる時は、〇〇ちゃんの迎えとは重ならないのか?」
と、なんと、私の予定を気遣う言葉が!
他にも、
「〇〇に行きたいけど、連れて行ってもらえるか?返事は急ぎません。」
とか。
「〇〇に行きたいけど、都合がつかなければ、欠席にします。」
とか。
以前の父なら、要求を伝えるだけだったのに、急にどうしたのか?
気遣いが見える…。

私は3年ほど、父を中心に自分の生活を組んできた。ほとんど要求をのんできた。その結果、心がすり減り、自分のやりたいことが何かもわからなくなった。
そんな私に引きずられて、母も同じ状態だった。

父が、要求が通って当たり前と思うようにしてしまったのは、他の誰でもない、私だった。

自分のことを大切にしないと、人からも大切にされない。

まさに、それだった。
私は自分の事を、軽んじて、後回しにして、生きてきた。
でも、それは、今思えば、誰のためにもなっていなかった。

今は、私は自分もやりたいことをやっていいんだと思い、自分も幸せにしている。
母もそう。
二人で、私達はやりたいことをやっていいんだよ!その合間に、お父さんに帰ってきてもらったら、みんな幸せだもんね〜!というスタンスで暮らしている。

そう、私はまさに、誰一人犠牲にならずに、みんなが笑って暮らせる日々を実践できている。

noteを始めた時に、プロフィールに書き込んだ「ただみんなに笑っていてほしい」ができてる!
書きこんだ時は、ただそう思っただけで、方法がわからなかった。
noteを通じて、内観して、アウトプットするうちに、じわじわと気づいていけた。

人を変えることはできない。
でも、自分が変わることで、
実は人のことも変えていける、
私はそう思う。

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