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#29 三島由紀夫を考えるということ 三島由紀夫文学館(山梨県山中湖村)

三島由紀夫文学館は山中湖畔に1999年にオープンした。直筆原稿、取材ノート、著書、映画、演劇資料等を所蔵する。山中湖自体は三島と無縁だが、公共機関での資料保存を希望していた遺族の意向と「山中湖文学の森」という施設建設の構想が合致したようで、この地に建設された。

以下は三島由紀夫文学館の紹介というより、最近思うことを徒然と。

豊饒の海ラストと市ヶ谷決起をどう考えるか

三島由紀夫は1970年11月25日、憲法改正のため自衛隊のクーデターを呼びかけた後、割腹自殺した。三島由紀夫の死はヒロイズム、文学の拡張、暴発、国民の覚醒など多く語られている。多くの議論がなされている上、真相を確かめる術は無い。

三島の最終作は長編小説「豊饒の海」だが、その結末部分が出版社に届いたのは11月25日。同日、市ヶ谷に赴き割腹自殺する。「豊穣の海」の主題は輪廻転生(受け継がれるもの)だが、その結末では輪廻転生というモチーフが明確に否定される。一見、市ヶ谷での自死も豊穣の海も、「自己否定」という帰結だが、その方向性は真逆と言って良い。

つまり、豊穣の海は輪廻転生を否定した上での自己否定だが、市ヶ谷自死は、天皇陛下(存在)を肯定した上での自己否定だ。この自己分裂をいかに考えるか。

これは大澤真幸氏が注目した論点でもある。彼は、自らの文学が辿り着いた深い虚無を受け入れられず、そこからの逃避として自己否定と引き換えに天皇の存在を浮かび上がらせることに賭けたのだと考察する。彼の考える通り逃避だったのか、先後する所があったのかは私には分からないし、問う事はあまり意味がない気もする。

小林秀雄がコメントしたように「この事件の象徴性とは、この文学者の、自分だけが責任を背負い込んだ個性的な歴史経験の創り出したものだ」(三島君の事)、「人間の肝腎なところは謎だとはつきり言ひ切つていいのだね、きつと」(同)としか言えまい。

私が措定したい三島由紀夫はその先、ないしその手前にある。私には、三島の作品はいずれ虚無とならざるを得なかったし、彼の行動はいずれ決起に向かわざるを得なかった気がしてならない。彼をあの結末へといざなった宿命について考察する。

市ヶ谷決起は「求めて叶わず」の終点?

三島由紀夫の作品にはある共通の構図が散見される。求めて求めて、手に入る瞬間に零れ落ちる、という構図だ。

「仮面の告白」では執着していた園子と接吻するや、別れる。「サド侯爵の生涯」では、獄中に問われたサドに十数年尽くすも、サドが自由の身になるや、途端に別れる。「愛の渇き」では農園で働く三郎に夢中になった悦子は三郎に迫られるも、彼を殺してしまう。「鍵のかかる部屋」では、一雄を招き入れた房子は、黙って内側から鍵をかける。

人間心情の機微が繊細に描写されつつも、同じような構図が作品を通じて続いているように見える。そして「鍵のかかる部屋」以降は作風に変化が生じている。それは彼自身が世界旅行を経て、自己改造の決意を抱いた時と同じくする。この「求めて叶わず」という構図は維持されつつも、より思想化していく。

「作家といふものは、いつもその時代と娼婦のやうに、一緒に寝るべきであるか?…反動期における作家の孤立と禁欲のはうが、もっと大きな小説をみのらせるのではないか?」(小説家の休暇)

その後すぐの作品「金閣寺」を見てみよう。主人公溝口は、金閣寺に世界を超越した美を感じる。そして(それゆえに)金閣寺に火を放つ。金閣に火を放つ直前、溝口はかく呟く。

「行為そのものは完全に夢みられ、私がその夢を完全に生きた以上、この上行為する必要があるだろうか…ここまでが私であって、それから先は私ではないのだ」(金閣寺)

この表現は逡巡するものだが、その後溝口は火を放つ。ここでは、世界を超越した美(イデア)であることを示すには、逆説的に存在(リアル)を否定せねばならぬ、という三島の「求めて叶わず」構図を逆転させた上での発展型が窺える。つまり建築物としての金閣(リアル)を灰燼に帰させることで、イデアとしての金閣は救われる、というロジックだ。

「金閣が焼けたら…こいつらの世界は変貌し、生活の金科玉条はくつがえされ、…こいつらの法律は無効になるだろう」(金閣寺)

「天皇変化万歳」と叫び決起を促した市ヶ谷自死と通ずるものを感じる。美が超越したものであり続けることに三島は拘る。超越したものが世俗化(退廃)することへの憤りが自己否定へ駆り立てる。

二・二六事件を扱った「憂国」、「英霊の聲」では、さらに世界が拡張されて行く。二・二六事件で銃殺刑となった青年将校、死に向かった特攻隊員の霊に「などですめろぎは人間となりたまいし」と語らせた三島は、戦後の出発点かつ深部にある天皇の人間宣言を通じて、戦後の「曖昧さ、猥雑さ」を糾弾した。

内面:接吻(仮面の告白)→対象:金閣(金閣寺)→社会:人間宣言(英霊の聲)→行動:憲法改正(市ヶ谷自死)と繋がっているように私には感じられる。三島の往相とは、「求めて叶わず」、「自己否定による救済」と言えまいか。

豊饒の海(受け継がれるもの)の終点は虚無?

次は、還相だ。最終作品である「豊穣の海」について考えたい。「豊穣の海」(四部作)のラスト(天人五衰)が書かれた原稿は、1970年11月25日市ヶ谷決起の日に、出版社へ届いたという。

豊穣の海は輪廻転生を描いた作品だが、ラストは「えろう面白い話やすけど、松枝さんという方は、存じませんな。〜何かお人違いでいらっしゃろ」と、長編小説を貫いていた輪廻転生というモチーフそのものが、否定される衝撃的な内容で終わる。

そしてこの「豊穣の海」のラストは創作ノートのグッドエンドとは正反対の結末なのだ。つまり三島は書き進めていく中で、結末を180度転換した。

「豊穣の海」は唯識論を用いつつ、キーパーソンである本多の生涯(第一巻:18歳、第二巻:38歳、第三巻:48歳、第四歳:76歳)を通じて輪廻転生を描く。なぜ最後の最後に輪廻転生が否定されたかは正直よくわからないし、「謎」とも言える。

ただ推察されるのは、唯識=認識の担い手として輪廻転生を探し、認識してきた本多が、4巻で覗き見趣味として世間から批判を受け、社会的信頼を無くす。つまり認識する試みが社会から退けられ、同時に認識そのものが個人の猥雑な趣味として暴露される。

その先(そんな個人/社会)に、輪廻転生=受け継がれるもの、などあるものか(受け入れられるか)、と三島は考えたのではないだろうか、と私は推察する。

社会の中(相対)で生き、自分の世界(絶対)を生きている以上、受け継がれるもの(イデア)を見出しても、畢竟、相対と絶対の世界に絡め取られてしまう、という「存在としての孤独」に行き着いたのではないか。

果たして存在としての孤独(豊穣の海結末)の逃避として市ヶ谷自死があったかは分からない。窺いしれない内面に整合性を見出すにも限界があるだろう。ただ、この二者は間違いなく三島のどこかで繋がっていたのだと思う。

三島が決起した11月25日は昭和天皇が摂政となった日であった。

楯の会は1970年安保に向けた民兵組織として始まった。自衛隊派遣の呼び水として斬り死にすることで憲法改正の捨て石になる、というのが当初のシナリオであったが、1969年国際反戦デー、佐藤訪米阻止闘争とも機動隊により制圧され、楯の会、三島由紀夫の試みは頓挫する。

三島由紀夫は1970年11月25日、憲法改正のため自衛隊のクーデターを呼びかけた後、天皇陛下万歳と叫び割腹自殺した。

われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。「檄」
もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしてゐないといふ思ひに日夜責められるのである。その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、といふ考へが時折頭をかすめる
「果たし得てゐない約束―私の中の25年」、産経新聞

三島由紀夫と福田恆存を比較する

三島由紀夫の結末は、あのようにならざるを得なかったのだろうか。それを宿命というならば、その宿命の位相を同時代人と比較しつつ考えたい。

三島と同じく新劇から政治論まで多くを語った知識人と言えば福田恆存だろう。両者を比較する中で、三島が11.25を迎えた宿命について考えたい。

「歌舞伎滅亡論是非」で福田恆存は、新劇にコンプレックスを持ち、形式で保持している歌舞伎にドラスティックな中身は期待できず、「いまのままでいったら、歌舞伎は滅びると思いますがね」と突き放す。

一方、三島は「あんなに古典主義を知らない古典芸術はないですよ」と歌舞伎を批判しながらも「背すぢに伝はる感動」、「いやらしい官能性」があれば「絶対滅びない」と反論する。

古典的様式に過ぎないと絶望する福田と古典の復活を信じる三島は、どう近代に対抗するかの一点で対照的な立場に立つ。

三島は文学でも演劇でも「いやらしい官能性」に拘った。言い換えれば、彼が信じる「自己の美」を追求し続けたと言える。一方、福田は、リアリストとして「ドラマチックなもの」を追求し続けた。そして福田は劇作家に止まらず、演出、劇団経営まで乗り出し、あくまでも「他者との附合い」の中で新劇に取り組んでいった。

三島は「反近代」を表現する場として新劇(近代)を選ぶという矛盾、福田は「近代」を引き受ける場として新劇を選ぶも、その前近代さに直面し続けるという苦悩に直面した。両者の意見は平行線を辿った。

1963年文学座の分裂でも両者の対応は別れる。福田が、狭い職業意識に閉じこもったまま衰退する既存新劇から距離を取り、新劇の再生を目指し劇団「雲」を設立する一方、三島は、既存新劇の中で俳優の技芸本意、劇場への復権に可能性を見出す。

「雲」の設立文では、「伝統形成の礎石」を福田が目指す一方で、三島は「新劇を明治以前の芸能の精神へいかにつなげるかといふ問題が、これからますます重要になるだろうと信ずる」とコメントしている。

両者とも古典(歴史文化)と附合うことを前提としつつも、(1)古典の価値:様式(三島)or内容(福田)、(2)表現:自己内追求(三島)or他者間追求(福田)、(3)行動:回帰(三島)or新規(福田)、とニュアンスはかなり違う。

自己の追求、様式の強調、精神への回帰を通じて歴史文化と附合おうとする三島は、その延長として、思索としては輪廻転生を描かねばならなかったし、行動としては日本に対して共鳴する若者を集めて、散らざるを得なかったのだろう。彼の美学は、「曖昧で猥雑な日本」を許せなかったのだろう。

一方、福田恆存の古典(歴史文化)との附合い方は違うように見える。

西欧の知性と手を握らねばならない。そしてともに二つの世界に対立しなければならないのである。…敵対でもなければ、否定でもない。それにしたがひつつ、しかも自己の地位を確保することである
(二つの世界のアイロニー)
過去に対する現代の優越を自覚するためでも、西洋に対する日本の優越の保証を手に入れるためでもなく、むしろさういふ自意識を抜け出た時に、あるいはまだそういふ自意識に落ち込まぬうちに、虚心に己を去って古典に接しなければならない。さうしてこそ、古典は、伝統文化は、自分またその中にある現代文化として生きてくるのです(伝統に対する心構え)
神と理想人間像となくして、個人の確立も超克もありえぬことを。そして獲得すべき、放擲すべき、いかなる夢もありえぬことを…ぼくたちにとつて、この絶望と希望との交錯のうちにただ静止する以外に方法がないことを
(近代の宿命)

国家、天皇を超えるものは何か

三島が市ヶ谷での決起を起こす三年前、「文武両道と死の哲学」というテーマで両者は対談する。そこで福田は、個人のエゴイズムは、ときには国家の名によって抑えなければならないが、国家のエゴイズムは何によって抑えられるのかと問題提起する。その原理は天皇制でも、自由主義でも、民主主義でもなくて、もっと考えなければいけないと語る。

三島は南朝の天皇に忠義を尽くすと答えたが、彼の言わんとするところは、美的天皇制に没我の精神を見いだせれば、国家的エゴイズムの掣肘になるということだ。それでは世界性(普遍性)を持てないのでは、と福田は語るが、三島は、天皇は世界的なモデルケースになれると思う、と反論する。

そして、そのためには、忠義の精神で天皇に無理やり握り飯を差し上げるしかない、覚悟しない君主は君主じゃないと語る。

ここに自己から出発し、「求めて叶わず」という三島の構図が読み取れる。福田は最後、三島に対し、それはあなたの美学であっても伝染すればファナティシズム(熱狂)となる、そうなるとあなた自身が握り飯を食わざるをえなくなる、と諭すが、三島は城山の西郷となるのは仕方がない、と答える。

三島にとって福田が云う「絶望と希望との交錯のうちにただ静止する」(近代の宿命)ことは能わなかったのだろう。そして彼は、国家のエゴイズムを抑える絶対な何かを「天皇」(ただし現存するのではなく南朝の天皇)以上に見出せなかった。

この対談後、三島は「絶対的なもの」について福田とさらに議論をしたかったようだ。結果、それは叶わず、数年後、三島は市ヶ谷で決起する。

福田自身も、絶対的なものについて言及していないが、晩年の彼が汎神論を書こうとしていたことを踏まえると、今の私たちの生き方、行為の基準の土台となる過去(歴史文化・自然)に絶対的な何かを見出そうとしていたと推察できる。

両人にとって「歴史文化との附合い」は違ったということだろう。

「社会のあるがままの錯乱と矛盾とをそのまま受納する事に耐へる個性を強い個性といふ。彼の眼と現実との間には、何等理論的媒介物はない。彼の個人的実践の場は社会より広くもなければ狭くもない。かういふ精神の果てしない複雑の保持、これが本当の意味の孤独なのである」
(Xへの手紙、小林秀雄)
「もともと人間は自然のままに生きることを欲してゐないし、それに堪へられもしないのである。…誰もが、何かの役割を演じたがっている…人々はそこに虚偽を見る。…一口に言えば、芝居がへたなのである…生きがひとは、必然性のうちに生きてゐるといふ実感から生じる…私たちは自己の宿命のうちにあるといふ自覚においてのみ、はじめて自由感の溌剌さを味わへるのだ」(人間・この劇的なるもの、福田恆存)

人間の個人(自由)と社会(被強制)が背立する中で、小林は「宿命」、福田は「劇」を見出す。虚無を合理性で乗り越えることは不可能なのだろう。「日本精神」、「戦後」、「天皇」など虚構を介さず、受納する。

過去、未来の抽象物ではなく、現在的な社会の基底において持続しているもの(歴史文化)と附き合う。宿命の中に生きる。そこに豊穣の海はあるか。今後の宿題としたい。



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