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瞑想する人しない人、何が変わる?

「仏弟子は第二の矢を受けない」

お陰様で「マインドフルネス瞑想@オンライン」も5月末から始まり、10回以上開催出来ています。朝の会にもご参加頂いている方は、徐々に瞑想が習慣化されている感じがあるのではないでしょうか。
瞑想を習慣化しているとどのような効果があるのか?
お経にはこのように書いてあります。(意訳しますね)

あるお弟子さんがブッダに質問します。
「お釈迦様、私たちは瞑想修行を続けておりますが、瞑想修行をする人と、しない人どのような違いがあるのでしょうか?」この質問に対して、ブッダは答えます。
「瞑想修行をする者も、しない者も、突然の不安に襲われ、怒りがわき起こり、悲しみが訪れる。これは等しく同じであろう。しかし、瞑想修行をする者は、その不安、怒り、悲しみから次の不安、怒り、悲しみに連鎖する事なく、より大きな苦しみを味わう事もない。これはあたかも、ある男が矢で射られ、第一の矢を受けた後、その状況を冷静に把握観察し、次の矢が飛んでくる事に備える為、第二の矢を受けない事と同じである」
このように説明します。
「仏弟子は第二の矢を受けない」という有名な言葉です。

瞑想を習慣化する人も、しない人も、同じように不安には襲われるし、理不尽な事があれば怒りも湧きます、そして大切な人が亡くなれば悲しみが訪れます。これは人として当然の感情ですよね。しかし、この第一の矢に射られた後の反応が変わってきます。
瞑想のトレーニングでは、呼吸に集中→雑念→気づいて→戻す、を繰り返します。
自分の心がどこにあるか、どのような状態にあるのかを客観的に気づくトレーニングです。
この客観視する事を「メタ認知」と言いますが、この力が向上していくと、不安に襲われた時、自分が不安になっている事に気づく事が出来ます。冷静に不安と向き合う事が出来ると、その原因や対象方法が見えてきます。
自分の不安としっかり向き合ってあげる事で、それ以上、大きな不安に苦しめられる事なく、鎮めていく事が出来るようになります。
これが第二の矢を受けない、という意味です。

自分のネガティブな感情を客観視出来ずにいると、どうしても思考が連鎖していき、頭が支配され妄想が膨らみ、本来は味わう必要の無い、より大きな不安、怒り、悲しみなどの苦しみを抱えてしまいます。第二、第三の矢に射られてしまった状態ですよね。

瞑想のトレーニングを習慣化すると、このように「第二の矢を受けない」という一つの効果があります。

私たちは「臆病な猿の末裔」

参加者の方のコメントに「私は不安になりやすく、心配性なので、瞑想を続けて心の変化を感じていけたらと思います。」
というお話がありました。
もちろん瞑想を習慣化する事によって、その不安や心配と上手に付き合っていけるようになると思います。

実はこのようなコメントは、とても多くの方に頂きます。
この方のように私は不安が強い、心配性だ、と感じている方が多いようです。
確かに、稀に素晴らしく楽観的な方も存在します。しかし割合で言えば、80〜90%(感覚値ですよ)の人はみな心配性ではないでしょうか。
心配性な事は悪い事ではありません、不安を感じる事は生きていく上で大切な機能です。
そもそも私たち人間は基本設定がネガティブバイアスだと言います。つまり何か事が起こると、悪い方向に考えがちなのです。
不安があるから慎重になりますし、心配があるから備えて事なきを得るわけです。

私たちの進化の歴史を振り返ると、不安や心配な気持ちが強い先祖様(猿)の方が生存率が高かったわけです。一度天敵に遭遇した場所は近寄らないという心配性な猿と、この前はやばかったけど次は大丈夫!という楽観的な猿がいるとしたら、確実に心配性な猿の方が生存率が高くなります。そして、その心配性な猿同士が交配して歴史が流れ、存在しているのが私たちですから、心配性のサラブレッドのような存在です。デイヴィッド・ゲレスは著書『マインドフル・ワーク』の中で、私たちは「臆病な猿の末裔」と表現していますが、的確ですよね。

ですから、自分は不安が強い、心配性だと心配を重ねるよりも、その不安な気持ちが沸き起こった時にしっかりと向き合い、それ以上違った方向へ思考が連鎖しないようにする事が大切ですね。

続きは随時更新していきます。
ご興味のある方は、ぜひ「マインドフルネス瞑想@オンライン」にもご参加下さい。https://note.com/eikan/n/nce50c4dc8079

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