河を渡り終えたら筏(いかだ)は捨てよ。
春は新陳代謝の季節です。
お別れもあり、新しい出会いもある。
そして陽気も暖かくなり、新しい事にチャレンジする良い季節ですね。
仏教には新たなステージに進む時の、大切な心構えを説いた「筏の喩え」という話があります。
「比丘たちよ、教え(法)というものは筏(いかだ)のようなものであることを汝らに示そう。」
「譬えば街道を歩いて行く人があって、途中で大水流を見たとしよう。そしてこちらの岸は危険で恐ろしく、かなたの岸は安穏で恐ろしくないとしよう。しかもこちらの岸からかなたの岸に行くのに渡舟もなく、また橋もないとしよう。そのときその人は、草、木、枝、葉を集めて筏を組み、その筏に依って手足で努めて安全に彼方の岸に渡ったとしよう。 かれが渡り終わってかなたの岸に達したときに、次のように考えたとしよう。
『この筏は実にわれを益することが多かった。われはこの筏に依って手足で努めてかなたの岸に渡り終えた。さあ、私はこの筏を頭に載せ、あるいは肩に担いで、欲するがままに進もう』と。
汝らはそれをどう思うか?その人がこのようにしたならば、その筏に対してなすべきことをしたのであろうか? 」
「そうではありません、師よ。 」
「比丘たちよ、教え(法)とは筏のようなものであると知るとき、なんじらはたとえ善き教え(法)でも捨て去るべきである。悪しきものならばなおさらのことである。」
『中部経典第22蛇喩経』
私たちの日々の成功体験や知識は自分の糧になり、またモチベーション維持に必要なものです。
しかし、その経験もある程度の目的に達し、次のフェーズに進んだら思い切ってリセットして、新しいやり方を試してみましょう。
今までのやり方、考え方を捨てた時に新たな視界が開けてきます。
経験を捨てるというと、積み重ねてきたものが“無”になる、無駄になると感じるかもしれませんが、ここがポイントです。
ブッダは河を渡り終えたから筏を捨てよ、と云います。
陸を進む際に筏は役に立たないばかりか、荷物になります。
しかし、筏を組み上げた材料があります。
それをバラして必要なものを残し、杖にしても良いでしょうし、麻縄など使えそうなものは携帯すれば良いと思います。
大切なことは「渡り終えたのに筏のまま持ち運ぶことは無意味である」という事です。
同じように、今までの経験や知識をそのまま新たなフェーズに適用しようとすると、足を引っ張る事になりかねない、という事でしょう。
積み上げた経験・知識を一旦棚卸しして、新たなチャレンジに活かせる形に組み直す柔軟さが大切です。
頭では理解していても、なかなか過去の成功体験や考え方を捨てられないのが人間ですけどね。
習慣として瞑想を実践していると、モノゴトや現象、そして自分自身を“ありのまま”観察する事に慣れてきます。
“今の自分”を良い悪い判断せずに、ありのまま受け入れるトレーニングが、過去の経験や知識に振り回されることなく、“今”必要なことに集中するベースを作ることにつながります。
ぜひ、一緒に瞑想を習慣化していきましょう!!
続きは随時更新していきます。
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