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“きれいごと”を言い続ける

「われわれの指は引き金にかかったままだ」

10月7日に端を発したパレスチナ問題は未だ緊張状態が続く。
11月下旬には、一時戦争を停止し人質開放などの合意がなされたが、冒頭のイスラム組織ハマスの声明が物語る通り、平和への糸口は見えない。

そのような中、埼玉在住の元イスラエル兵ダニー・ネフセタイさんの活動が目を引いた。
イスラエル内では次第に徹底的な報復を求める声が高まり、ガザ地区への大規模な攻撃が現実味を帯びる。

「親の前で赤ちゃんを銃殺するなど、ハマスの行為は非人間的」と国内の憎悪が増す一方でネフセタイさんはSNSを通して報復攻撃に反対する投稿を続ける。

彼はメディアに対し「私は幼い頃から『国を守るには軍事力が必要』と教え込まれてきたが、間違っていた。パレスチナ人を殺しても幸せにはなれない。憎悪の連鎖を止めなければ、家族や同胞らの安全はさらに脅かされることになる」と強く語っていた。

この言葉を聞いて「そんなの綺麗事だ!」「当事者の気持ちはわからない」と批判する人がいるかもしれない。

しかし、例え綺麗事であっても言い続ける事に意味がある。

私が自坊に入寺した時、ある檀家さんからこのように言われた。
「住職は真顔で正々堂々と綺麗事を言い続けて下さい。それが私たちの励みになるんです。」

私はこの言葉に脳天を撃ち抜かれてから、例え綺麗事だと思われようとも、理想を真面目に伝えていこうと思っている。

その理想を声にすることが出来ない人々の代弁者として声を上げ続けることも宗教者の役割だと思うからだ。

そしてこれからも、釈尊のこの言葉を正々堂々と伝えていきたいと思う。

「実にこの世において、怨みは怨みによって鎮まることはない。
怨みは怨みかえさない事によって鎮まる。これは永遠の真理である」
(ダンマパダ)

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