見出し画像

『言葉は刃物である』

2013年のある日、イギリスで14歳の少女が自ら命を絶った。
このニュースは大きな波紋を呼び、若者を取り巻くネットの社会的な問題を浮き彫りにした。

少女の父親はネット上でいじめを受けていたことをメディアに語り、世論はソーシャルメディアの規制強化を求める声を高めた。

しかし、その数日後に意外な事実が発覚する。
彼女がいじめを受けていたとされるサービスの運営会社が、該当するいじめのメッセージは自分自身から送信されていると発表したのだ。つまり自身で誹謗中傷していたのだ。

このような行為を研究者は「デジタル自傷行為」と呼ぶ。

この事件は私に重要なことを再認識させた。
それは「言葉は刃物である」ということだ。
リストカットなど従来の自傷行為は、その痛みによって自己存在を確認する。また周囲からの注目を集める事も動機となる。
しかし、今回の事件は直接刃物で自分の体を傷つけるのと同様の傷が、デジタルな行為でも刻まれると教えてくれているのだ。
この事実は私達が今後ネットを活用する上で、とても重要な示唆を与えてくれていると思う。


普段、私達が深く考えずにネット上で発した言葉であっても、相手には刃物で切り付けるのと同等のダメージがあるという事だ。
ネットが普及し、SNSがコミュニケーションの中心になりつつある昨今、目の前に本人がいる時には言わないような事も、相手の顔が見えないネット上では発言しやすい。
誹謗中傷や侮蔑、プライバシーの侵害、いじめ、ヘイトスピーチ、部落差別など人権侵害を助長するような投稿が多々発生している。


お寺では従来「敬いの心で安穏な社会づくり、人づくり」として活動を進めてきた。
ネット上であっても、私達がメッセージを発信する先には、同じく血の通った人間がいるのだという敬いの精神を忘れずにいたい。
そして釈尊のこの言葉を常に肝に銘じておきたい。
『人が生まれた時には、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を語って、 その斧によって自分を断つのである。』(岩波文庫『ブッダのことば』)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?