Re: 叶わない夢の意味。
1年前に書いたエッセイを読み返している。すると、いろんな発見があって面白い。これは私の宝物だなぁなんてつくづく思う。普段、仕事をしていても、アイデアはすでに出し尽くされて、ほどんどが同じことの繰り返しになって、流されるままに生きてるなぁって思う。
そんなとき、私は過去の自分に会いにゆく。過去の自分に出会って、今の自分が思うこと、それを心の中でもう一度、考えてゆく。
それは私がnoteを続けているひとつの大きな理由だと思う。これは続けていないと、なかなか過去の自分とは出会えない。せめて1年以上の時間が経たないと難しいのかなぁと思う。1年前に書いたエッセイは、思い出す部分もあるけれども、ほとんどの場合、忘れている。他人が書いたエッセイのように読めて、客観的に感想を抱くことができる。それがとても新鮮に思う。
読んでいて、そうかな?と思うこともあれば、そうだなって思うこともある。時間の経過とともに、状況や環境が変われば感じ方も違ってくる。それでも変わらないものは、私は、それは”確かなもの”なのだと思う。
今の世の中、”確かなもの”なんてなかなか見つけられないけれども、私は過去のエッセイの中で、小さな光のように見つけることができる。そうしてそれを、今の自分に引き継いでゆく。
それが、とてもうれしくてたまらない。
この小さなエッセイは、その中のひとつです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
子供の頃、そして、ずっと若い頃。
今は無理でも、いつかこうなりたいなぁとか、今はだめでも、いつかあんなふうになりたいなぁとか、そんな夢があの頃は、いつも心の中にあって、いつかきっと、いつかきっと、なんてずっと思っていた。
時々、あの時の気持ちを思い出すことがあって、また、同じように「いつかきっと」なんて懲りずに、また何度も思ったりする。
そんなとき、私はふと、気づいてしまう。
いつかなんて、とっくの昔に過ぎていたことを。
いつかなんて、すでにあの頃になってたことを。
とっくに人生の折り返し地点を過ぎて、なんとなくぼんやりと、その終わりも見えてきた。別に何かを悲観しているわけじゃないけど、ただ、柔らかな日差しの中でぼんやりと、昔を懐かしむような気持ちなのだ。
夢を叶えられる人は、ほんのわずかな一握りの人たちだ。ほとんどの人たちが、その夢を叶えられずに、生活のため、お金のために仕事をして、そんな中でも小さな幸せを感じて、そうして時が過ぎてゆく。
叶わなかった夢に、何か意味はあるのだろうか?とふと思う。
きっとそれは、もうすでに意味とかそういうものじゃないのだろう。夢は追い続けるもので、その中で僕たちは知らないうちに、いくつもの幸せを見つけている。
それは特別なことじゃない。
夢も幸せになるための、いくつもの想いのひとつなんだ。
誰かを好きになること。何気ない風景が美しいと思えること。そんないろんな日々の想いと、たぶん同じなのだろう。
だから私は、きっと明日も思うんだ。
いつかきっと、という思いで、また、夢を描くんだ。そうして夢を追い続ける中で、いつか人生が終わったとしても、私は幸せなのだと思う。夢がなければ、たぶん私は、そこまでたどり着くことはできなかった。
そう思うと、叶わない夢にも、きっと、必ず意味がある。いくつもの小さな幸せを知るために、夢はその終わりの場所まで、僕らを連れてゆくのだろうから。
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一