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学生ズボン紛失事件。

誰もがこれまでの人生の中で、未解決なままの不思議な出来事、というものがあると思う。あれはなんだったんだろう?と、ふと、何気なく思うにしても過去には戻れない現実に、あきらめてしまったいろんなあれこれ。

それは人生を左右したことや、ふと、苦笑いする程度のものや案外、人それぞれに数知れずあるんじゃないかと思う。先日、私が風呂場の中で「うぇー、ごくらく、ごくらく」と死語を連発しながら湯船に浸かっていたとき、あることが思い出された。

名づけて「学生ズボン紛失事件」である。

”である。”というほどのことでもないけれど(タイトルからしてお間抜けだし。)あれは中学1年になったばかりの私に起きた不思議な出来事だ。ピカピカの新入生だった私は、以前から興味のあった軟式テニス部に入った。そこでは初めての”先輩”という存在に、ある程度、覚悟はしていたものの試練はすぐにやってきた。

まずは「心臓破りの自己紹介」から始まり(テニスコートの端っこから一人ずつ大声で叫ぶと言うもの。先輩達の許可が下りないとずっとやらされ続ける)球拾いにコートのローラー引きにトンボがけ。今じゃ足を壊すからとやらなくなったうさぎ跳びを、死ぬほどやらされ続た。

そんなある日、事件は起きた。日は落ちて薄暗くなった夕闇に、部活が終わりコートを整備し先輩達が着替え終えた後、僕ら1年生が着替えようと部室に入ったとき私はふと、不思議に思った。

そこにあるはずの私の学生ズボンがなくなっていたのだ。1年生に個人のロッカーなんてものはなく、どこか隅っこの机や台の上に当時、置いていたのだが、学生服と一緒に置いたはずがなぜか学生ズボンだけがなくなっていた。

当然、私は、あわてて近辺を探したが見つからない。こんな狭くて汚い部室だ。探せば必ず見つかるはずだと私はまだ部室に残っていた同じ1年の仲間にも心当たりを聞いたけど、なぜかどうにも見つからない。

当時まだ、小学生気分が抜け切れていない私はその不安に耐え切れずに、涙目になるばかりだった。そんなとき「どうしたんだ?」と言う声がどこからか聞こえた。K先輩だった。K先輩はまだ、部室のすぐ外にいたらしく中の異変に気づいたようだ。

「青木のズボンがなくなったみたいなんすよ」と今にも泣きそうな私の代わりにTが言った。

「なんだそりゃ?そりゃまたおかしな話だな」と先輩は笑った。私はその笑い声に、うつむいたまま、涙だけをこらえていた。

あんなにも厳しいことばかりさせる先輩だ。(そのK先輩に、私は心臓破りの自己紹介を、”声が小さい!”って10回もやらされたんだ)”ばかやろー、こんちきしょう!傷口に塩をぬる事はねぇだろ!”と私は心の中で毒づいていた。

怒りよりも惨めな思いが先立って、気づけば涙がぽろぽろと私の両目から少しだけこぼれた。

そんなとき、K先輩はみんなにこう言ったのだ。
「よーし、みんなで青木のズボンを探すぞぉー」

すると、他の先輩達も、同じ1年の仲間達も
みんなが私のズボンを探してくれた。

「となりのバレー部のやつらの仕業かもしれん。あいつら悪さばかりするからな。山本、ちょっと見に行ってくれ。それと1年、念のため職員室に行って先生に言ってやれ。案外、落し物か何かで届いているかもしれんからな。
それから・・・」

そんなふうにk先輩はテキパキとみんなに指示を与え、先輩自身も部室内や外のドブ周りを探してくれた。

いつしか誰もが(なぜかバレー部員も)私のズボンを探してくれてる。私はまた、違う意味で、あふれそうな涙をこらえるばかりだった。

しばらくしてK先輩が私に駆け寄りこういった。
「これか、青木!」

それはドブに落ちていたらしく、泥まみれの学生ズボンだった。(なぜ、そんなところに!これも謎だ。)私は息を飲み、それをじっと見たけれど、サイズがまったく違ってる。それは私のじゃなかった。

「そうか・・・しゃあねぇな。今日は体操服で帰りな・・・」先輩は、泥で汚れた服をはらいながら笑顔で私にそう言ってくれた。

私は顔を上げられなかった。

その帰り道、黒の学生服に白の体操ズボンという格好の私に見知らぬ女子中学生達が「やだ!あの子!体操ズボンはいてる!あれって新入生よね。キャハハ!まだ小学生のつもりぃ!?」などと笑われ、「うるさい!」と私は泣きながら走って家に帰ったのだった。

あんなに惨めな思いまでしたのに
ズボンは結局、見つからなかった。

どうしてなくなってしまったのか?今、考えてもわからない。わからないけれども、大人になった今、こうして冷静に考えてみると、ある程度の想像はできる。

誰かが間違えて持って帰ったか、またははいて帰ってしまったか。(特に新入生同士なら、新しいズボンの見分けがつきにくかったはず。)たぶん、そんなところだろう。

後になって気づいても、あんなに大騒ぎになってしまったものだから言えずに私を見るたびに「ごめん」と心でわびる人がいたのかもしれない。(もし、いたならこちらこそ、ごめんと言いたい。)

ただ、ズボンがなくなったことよりも、こうして思い出として残っているのはみんながこんな私のために、探してくれたと言うそのこと。こんな金八先生みたいな出来事は、現実にはかなり少ない。

そんな少ない中のひとつを
私はこうして大切にしている。

ズボンはなくなってしまったけれども
みんながそれぞれに大切なものを
私に見つけてくれたんだと思う。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一