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言葉のシャボン玉。

今日はなんだか気分がいいな。今日は誰の心にも、日本の言葉というものが、いかに美しくも尊いものかが、深く心に刻まれた一日になった。

言葉はその意味の数だけ、果てしなくも美しいものがある。そしてその意味からも、それぞれに美しい物語がある。それはなんて素敵なことだろう。この国に生まれてよかったと心から思った。

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人は日常の会話やその文章の中で、言葉にすると思いがけず、傷つくことがどうしてもある。けれども心を言葉にすると、その気持ち次第で言葉は、まあるいシャボン玉のように、ふわふわと浮んで、風に流れて飛んでゆく。

その中身は心で出来たやわらかい空気のようなもので、そのシャボン玉が誰かに当たって、その空気に触れるとたちまちその人に伝わるような、その言葉が、シャボン玉のような、気持ちだったらいいなと思う。

幼いあの頃を思い出せなたら、誰にも覚えはあると思うけど、シャボン玉って思いっきり吹くと、かえってうまく作れない。ほとんどがすぐに割れてしまって、そしてポタポタとこぼれてしまう。

そんなとき、誰かが教えてくれたんだ。「シャボン玉を作るときはね、こんなふうに優しくね」って。だから優しくいたわるように、小さく息をはきながら少しずつ少しずつ育ててゆく。すると大きくなったシャボン玉は、やがてストローから離れていって、風に乗って飛んでゆく。

いつかは消えゆく運命にしても、心地よく風に浮んでる姿は、人の心を釘付けにする。知らないうちに、最後までつい見入ってしまう。

言葉もたぶんシャボン玉と、同じようなものじゃないのかなぁって。

大切なのは、一度に言葉を思いっきり吐いてゆくんじゃなくて、ゆっくりと育てるように、言葉を誰かに伝えてゆく。すると知らないうちにその言葉は、素直にその人に向ってゆく。もしも、その人に届く前に、風に揺れて尽きてしまっても、その人がちゃんと見つめるような、大切な言葉に育ってゆく。そういうものだったらいいなぁ・・なんて思う。

もし、そうなら本当に素敵だな。私はもともと早口が、とても苦手なたちだから、早口で言われるといつしか自分が、叱られているような気持ちになる。

言葉はゆっくり育てなきゃって思う。でも、そう思う自分が、いつしか早口になってたりして。そんなふうにならないように、あせらなくても言葉は待ってくれるから、心の中でちょっと練習。それからでも、きっと遅くはないんだ。

今日の私が、とても穏やかになれたのは、あの日の私の言葉たちが、きっと、ゆっくりと育ってゆき、そして、ちゃんと誰かの元に届いたからなのだと思う。だからあの人も私も、きっと素直に笑顔になれたのだと思う。

よかった。この気持ち、ずっと忘れないでいよう。
シャボン玉のようにゆっくりと。それを忘れないでいよう。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一