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夢は叶うより実るほうがいい。

イラストレーターになりたいと思っていた。イラストに言葉を添えて、本を出したいと思っていた。

高校の頃の私の夢だ。

高校を卒業する頃、私はイラストの専門学校に行きたいと両親に言ったけれど、猛烈に反対されて大学受験することになった。でも第一志望の大学には受からず、すべり止めの大学に何とか受かり、その大学に入学したけど、結局のところ中退した。

私の夢は何一つ叶うことはなかった。

今思えば、その道はいくらでもあったはずなのに、私は何の努力もせずに、無気力なまま職安に通う日々が続いた。何一つ夢もなかった私を受け入れてくれる仕事はなく、いくつか面接を受けたけど、ことごとく落とされた。

もう生きていても仕方がないのかなぁと思っていた頃、たまたま見つけた電器屋の求人に”もうここでアルバイトでもいいや”と思った。オーディオに好きな音楽でも売場に流して仕事をしよう、などという随分と不純な動機だった。

面接に行くとすぐに採用された。しかも社員として。当時はとても不思議に思ったけど、今ならわかる。当時、誰も電器屋の店員になりたがらなかった。給料は安いし、仕事はきつい、残業は多い、クレームは多いで。(今は違うと思うけど。)

まさかその後、その仕事をずっと続けることになるとは思いもしなかった。そして、その電器屋が倒産してしまい、今は食品スーパーに勤めている。こうして続けてきた仕事は、どれも私の望んだ夢ではない。

人生を振り返ったとき、私の夢は何だったのだろうかと思うときがある。

ほとんどの人の夢は叶わない。それがこの世の現実だ。私たちは、たくさんの映画やドラマや小説で、あたかも自分が夢を叶えたかのように感動する。そして、どの物語も、ほとんどが夢を叶えた後、ハッピーエンドに終わってゆく。

映画やドラマはそこで終わっても、この人生はずっと続いてゆく。夢は叶ったまま、ずっと幸せが続くことはない。それが、哀しいけれども現実だ。

夢を叶えるとは一体何だろうかと私は思う。勝ち続けること?その頂点に立つこと?それを仕事にして収入を得ること?多くの人に認められること?果てしなく承認欲求を満たすこと?そう思うと、なんだか違うような気がしてくる。

この頃、私が思うのは、夢は”叶える”ものではなくて、”実らせる”ほうがいいのではないかと。たとえどんなに小さくても、たくさん実らせたほうがいいのではないかと。「夢が叶う」と言うと、どうしても、それで終わりのような気がする。(しかも、そのほとんどは叶わない)でも、人生はずっと続いてゆく。映画のように、いつもハッピーエンドで終わることはないのだ。

夢は”叶える”ではなくて、たくさん”実らせる”ほうが、きっといい。

小さな果物の実のように、たくさんたくさん実らせて、それを誰かに与えよう。そして自分にも与えよう。美味しいね、とその人と一緒に分かち合おう。そんな夢が私はいいと思う。

それは夢を叶えられなかった人の”負け犬の遠吠え”に聞こえるかもしれない。それでも構わないと私は思う。かつて私はイラストレーターになるのが夢だった。二十歳にも満たなかった若い頃の私の夢だ。でも今思えば、私が本当に好きだったのは、イラストというよりも、自然の風景であり、造形であり、デザインであり、その美しさ。そして同じく、言葉の持つ優しさだ。

私は今、いろんな形でその夢を実らせている。写真として、そして、言葉を詩やエッセイに変えて。それがどんなに小さくても、ありふれていても、たくさん夢を実らせている。そう思うと、私は食品スーパーの仕事で、売場を作るのがとても好きなのだけど、それは商品を美しく見せることであり、私の作るデザインだ。これも私のひとつの夢の実なのだろう。

先日、随分と久しぶりに風景のイラストを描いてみた。けれども、あまりの下手さに思わず苦笑いをしてしまった。昔はもっと、上手だったのにな、と思わず自分に言い訳をした。

今はこっちの方がいいなと思い、私はシャッターを切る。

そうして私は、自分の夢を実らせてゆく。たくさんたくさん実らせて、そしてそれを誰かに与えて、私にも与えて、一緒にうれしいねって微笑み合う。そんな夢が私はいい。

美しい夕暮れを眺めながら
あの頃の私に言ってあげたい。

君の夢は大丈夫だよって。
たくさんたくさん実をつけているよって。


最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一