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キレやすい彼と、その自然体と。

今、ペットショップボーイズの音楽を聞いている。”Behaviour”(1990年)というタイトルの古いアルバム。

彼らの歌は、力強く何かを求めることもなく、何も語りかけていないかのように、ただ、自然体のままでいる。でも、そのメロディは、私の心の深いところを、まだ、誰にも見せていないような場所へと、そっと導いてくれる。

彼らの歌は、もしかしたら天使達に守られてるんじゃないだろうか?と錯覚するほどのその美しい旋律と透き通る声。何も飾ることもなく、ただ、自然体のままで。

あんなふうに自然体でいられたら・・・と私はあこがれる。自然体であったなら、誰かの言葉に左右されることもなく、恐れず不安にもならず、怒りを忘れ背筋を伸ばし、この人生を凛と歩いて行けるというのに。

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昔のこと、電器売場の店員だった頃のこと。あの日は朝から最悪な状態だった。まるで頭の中に、クモの巣が張り巡らされているかのようにぼんやりとして、物事がはっきりせず、気だるいままで。

起きているのに、まだ夢の中でまどろんでいるような感じ。どうしたというのだろう?結局、そのままの状態で私は仕事をしていた。

もちろん、それで仕事になるわけもなく、ただ、時が過ぎてゆくのを待っているようなものだったけど、平穏に終わることもなく、たるんだ気持ちに不意をつくように、アルバイトのS君の怒鳴り声が店内を駆け巡った。

「そんなに値下げ出来るわけが無いじゃないですか!もう、十分にセールで安くなっているのに、どうしてまだ安くしなきゃならないんですか!」

まただ。またS君がキレてしまったのだ。相手は中年のおばさんだ。たぶん値下げを強要したのだろう。私の頭痛がひどくなる・・・周りのお客さん達も信じられない表情で、彼の態度をひそひそと見つめている。

そんな自分の異常にはっと気付いたのか、S君は慌ててお詫びをしていた。その中年のおばさんも、彼の大声にひどく驚いてはいたのだけどそんな彼を・・奇跡的にも・・許していた。

私の出る番もなく、とても奇妙な形でそのクレーム(にもなっていなかったが)は終わった。

キレやすい彼は、この接客には向いていなかった。何度、私が注意しても、その気持ちは押さえ切れずにお客さん相手に怒ってしまう。その原因が、どれもお客のわがままにしても、それを笑って対処しなきゃならないのが、私達店員の仕事だ。なのに我慢という言葉の意味を、彼は理解しようとしない。

でも、私は思う。笑って誤魔化して、お客をなだめながら接客している私達より、正論として主張する彼のほうが、どこか自然体のような気がする。もちろん、お客を怒るなんて言語道断ではあるけれど、その意味を問われたなら、私はなんと答えればいいのだろう?

正しいこと、間違ったこと・・・接客の中ではそれらのことが、どんどん形を変えながら、私達店員を困惑させる。何が正して正しくないのか、次第にわからなくなってくる。それを私はあきらめるように、気持ちをうまくコントロールするけれど、キレる彼はそれが器用に出来ないだけなのだ。

ただ、唯一の救いとしてうれしかったことは、その日はなぜかS君のほうから、普段はそんなこと絶対に無いのに、私に反省の言葉を言ってくれたこと。

「すみません・・・僕が悪かったです」

そんな彼を見て”何が悪かったのだろうか・・”とぼんやりと思った。でも、現実には私は彼に厳しく注意していた。なんだか心がどうにかなってしまいそうだった。自然体な彼は接客には向いていない。自然体になれない私は、そんな彼に少しだけあこがれる。

あの頃、やっと、就職先を見つけた彼は、このアルバイトもあと少しだった。今度の仕事は、接客とはかけ離れた場所にある。物事は収まるべきところへ収まるのだろうとつくづく思った。

彼のことで、私は何度も頭を痛めたけれど、あのときはもう、そんな気持ちもどこか遠くに感じていた。正直言って、彼がいなければどんなにいいかと思った時さえあった。でもなぜか、少し寂しく感じるから、人の想いなんてとてもいい加減なものみたいだ。

・・・今、ペットショップボーイズの”Only the wind”が流れている。

頭の中のクモの巣が、彼らの歌に少しづつほどけてゆく。せめて今だけ、自然なままに、この心の深い場所へと誘え。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一