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ウサギが朝食を作ってくれた日(物語)

作家気分で有料にしてますが、無料で全文読めます。絵のない絵本のような物語です。昔、私が書いた小説を手直ししました。少し長文(約6400字)ですが、私のお気に入りの作品です。

読むのに15分程度かかると思いますので、お時間があるときにぜひ!秋の夜長にじんわりと、心が暖かくなってくださると幸いです。
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朝起きると、目の前にウサギがいた。

今思えば、ウサギがただ、そこにいるだけならまだ良かったのだが、そのウサギは2本足で立っていたし、お玉を手で持っていたし、どうも朝食を作ってくれている様子だった。

トントンという包丁の音と味噌汁の匂いが部屋中に漂っていた。

「この味はちょっと違うのよね」

ウサギが独り言を言っている。僕は頭がどうかしてしまったのか?きっと夢だ、これは夢なんだと自分に言い聞かせた。

確かに僕は昨日、付き合っていた彼女と最悪なケンカをしてしまったし、おかげでビールは3本までしか絶対に飲めないのに、思わず6本も飲んでしまったし、この世はもう終わりだと思ったし、仕事に行く気にもならなかった。

本当に最悪だ。
何もやる気が起きない。

その時僕はもう、目の前にクマがいようがライオンがいようが、トラがいようがどうでもよかった。ウサギならとりあえず殺される心配はなさそうだ。僕はそんなふうに思いながら、ウサギの後姿を、ただ、ぼんやりと眺めていた。

「あ、起きた?」

ウサギが白い歯を見せ、僕にニッコり笑って言った。ウサギはちゃんと言葉をしゃべっている。僕はもう、この状態をうまく理解しようとは思わなかった。もう、どうでもいい。それに良く考えれば、何もやる気のない僕に、こうして朝食を作ってくれているんだ。こんなうれしいことはない。むしろ大歓迎だ。

「朝はご飯と味噌汁で良かったかしら?」

エプロンでパンパンと手を拭きながら、もう1度ウサギは僕に聞いた。そうだ、やっぱりこれは歓迎すべきことなんだ。昨日の夜から、まともに飯も食っていないし、こんなラッキーなことはない。

ただ、相手がウサギという点を除けば・・・

・・・・・・・・・・・・

僕はウサギが用意してくれた朝食を食べながら、目の前のウサギをしげしげと見た。背中を見たり耳をつまんだり、丸い尻尾を裏返しにもして見た。

「やめてくださいよ」とウサギが言った。

「いくら探したって私の背中にはファスナーなんてありませんよ。私は正真正銘のウサギです。気ぐるみでもないし、中に人も入っていない。当たり前じゃないですか!失礼な人ですね!あなたは!」と少し怒って僕に言った。

”なんか言ってることが逆だぞ”と思いつつ、僕はウサギに謝った。やれやれ、何やってんだろう?この僕は・・・。

「なんで僕に朝食を作ってくれたりするの?」

僕は、意外とおいしいウサギの味噌汁(いやいや、普通の味噌なんだけどね)を飲みながら、ウサギに尋ねた。

「ただの恩返しです」とウサギは言った。

「恩返し?」

「ほら、よく昔話とかであるでしょう。例えばまんが日本昔話。ぼうやよい子だねんねしな~って歌。見ていなかった?」

「あ、あー見た見た。そう言えば、あのアニメ、いつのまにか終わっていたんだよね。子供の頃、いつも夕方になると見ていたっけな。あれは本当に面白かったよな~。そう言えばあの声優さん、なんて名前だったっけ?」

「あぁ、そうそう、おじいさんとおばあさん役は、やっぱりあの声優さんが一番だよね。なんか、ほのぼのとしちゃってねぇ」とウサギが僕の背中を叩きながら笑った。

「そうそう、懐かしいなぁ。僕はやまんばの昔話が一番面白かったよ。だって、おっぱいでぶんぶんと木をぶった切るんだもの!」と僕もウサギの背中を叩きながら笑った。

「わっははは!・・・」

あぁ、いかんいかん、思わずウサギと意気投合してしまった。たぶん、これは僕のリアルな夢なのだろうと思うことにした。そう、僕はまだきっと夢の中なんだ。

「でもさぁ、普通、恩返しする時は人間の格好をしないかい?きれいな女の人とかさ。鶴の恩返しだってそうじゃない。なんで人間の格好じゃないの?」僕はちょっと意地悪そうにウサギに尋ねた。

「ああ、あれね。私、あれは苦手なんです」

そう言ってウサギは本当に苦手そうに渋そうな顔して両手を横に振っていた。僕はいっそう訳がわからなくなった。

「でも、僕はウサギに恩を返されるようなことをした覚えはないぞ」

僕がそう言うと、ウサギはお茶を飲みながら、僕に笑ってこう言った。「いいのです。そのうち思い出してくだされば。今日は一日、あなたのために働きますから」

ウサギのその笑顔は、やっぱり僕には不気味に見えた。

・・・・・・・

僕はもう、仕事に行くことをあきらめていた。こんなボケた頭の状態で行くのはまずいと思ったし、彼女に振られたショックから立ち直れていないし。別にもういいや、と思うことにした。

ウサギは僕の部屋の掃除をはじめた。山のように溜まった洗濯物もみんな洗濯機に入れて洗ってくれた。洗面所で彼女用の歯ブラシを見つけてウサギは「これこれ」って感じで、いやらしそうな目をして僕に笑っていた。

まったく、余計なお世話だ。

僕がその彼女に出会ったのは、ちょうど半年前のことだった。同じ会社の女の子だ。僕は子供の頃からほとんど部屋に引きこもりの状態だった。いつからそうなってしまったのかはまったく覚えていない。

会社にはちゃんと行って仕事をしていたけれど、ただ、それだけだった。特別成績が良かった訳でもなく、悪かった訳でもない。いつも中途半端。目立たない存在。僕なんか、いつもいてもいなくても、何も問題なかった。

僕は小さな頃からひとりだったし、いじめられていたし、いつもどこか心に深い傷を抱えているような気がしていた。結局いつもどこでも僕はひとりだった。誰一人として、この心を開くことはなかった。

「元気ないのね」

僕の机に缶コーヒーが置かれた。

はじめて僕にやさしい声をかけてくれたのはその彼女だった。以前から僕は、密かに彼女に好意を寄せていた。健康的なかわいい笑顔とそのやさしさに、僕はすぐに恋に落ちていた。

あのとき僕は彼女のやさしいその一言に、きっと気が動転していたんだ。じゃないと説明できない。あの時の僕の行動は・・・。

「あ、あのう、・・・」

「え?」

と声になるかならないかくらいの声で、彼女は僕に答えた。

「何かしら?」

顔を小さく傾けて、イタズラっぽく僕を見つめる。きれいな長い髪が小さく揺れてる。

「あのう、コーヒーのお礼に、もし、良かったらでいいんだけど、本当に良かったらでいいんだけど、僕と今度、食事でもしませんか?も、もちろん、僕のおごりで・・・」

気付けば、口だけが別の生き物になったみたいに、僕は彼女を誘っていたのだ。言ってしまった後で、僕は顔が真っ赤になった。

”うわぁー、なんてことを言ってしまったんだこの僕は!こんなかわいい彼女に彼氏がいたって不思議じゃないし、こんなさえない僕がなに言ってんだ!さっきのは、冗談だと言おう。そうだ、冗談だって言ってしまえ!”

そう心の中で叫んだ。

「えぇ?あら、こんなコーヒーで食事に誘われたのははじめてだわ。こんなことでも無駄じゃなかったってことね」彼女は、そうささやくようにそう言って微笑んでくれた。

”えっ?”なんだこの状況は?僕はひとり、まるで北極の氷に閉ざされた恐竜のように、カチンカチンに固まってしまった。どうなっているんだ?彼女は喜んでくれているのか?ワケもわからず動揺しているこの僕に、彼女はひとことこう言った。

「でもね、あなたはもうちょっと自分に自信を持ったほうがいいわよ」彼女は、僕にそう忠告すると同時に、他の誰にも見えないように、きれいな細い指で小さくOKサインをしてくれていた。

それから僕たちは何度かデートを重ねた。制服じゃない私服の彼女を見て、僕はなぜか別人のように感じて、もう1度、彼女に恋に落ちてしまったみたいだった。僕のサイドシートにちょこんと座る彼女。渋滞の車の中で僕が何気なく右折車に道を譲ると「やっぱりあなたって、やさしい人ね」とニッコリと僕を誉めてくれた。

”そんなことはない。君がいるから・・・”
と僕は心の中でそう思った。

3度目のデートでキスを交わし、6度目のデートでふたりは同じ朝を迎えていた。あの朝、あの台所で彼女がはじめて僕のために朝食を作ってくれた。あの時の彼女のまぶしい笑顔が今も焼き付いている。僕の心を唯一開いてくれた人だ。

なのに・・・僕の何気ない一言で彼女を傷つけてしまった。後悔しても、彼女の涙が僕を苦しめる。どうしてあんなになってしまったんだろう。

今じゃ、ウサギがベランダで僕のパンツを干している。おまけに外に向かって、誰かに笑顔で手を振っている。

ん?手を振っている?

僕は慌ててウサギの頭を押さえた。
「イテテテ」とウサギが言った。

「何やってんだよ!」

僕は、ベランダでしゃがみながら、声を殺してウサギを叱った。

「いえ、小学生達が私に手を振ってくれていましたから、私がそれに答えてあげていたんです」

「余計なコトするなよ!誰かにばれたらどうするんだよ!」

外では小学生達が騒いでいた。

「本当なんだよ。お母さん、
本当にウサギがパンツ干してたんだ!」

「そんなことあるワケないでしょ!」

・・・やれやれだ。
まぁ、誰も信じる人はいないだろうけど。

今はただ、ウサギが洗濯を干していようが、そんなこと、どうでもよかった。僕はもう1度彼女とやり直したかった。昨日は本当につまらないことでケンカをしてしまった。どう考えても僕が悪かった。ほんの小さなことだったのに、どうして素直に謝れなかったのだろう。

どうして冷たい態度のままでいたのだろう。泣いている彼女を見て、僕はどうにも言葉が見つからなくて、ただ、途方に暮れていた。彼女はきっと、僕の言葉を待っていたはずなのに。

「ごめん」という、たったこれだけの言葉を。

心の何処かで僕は、自分はまたひとりになることを望んでいたような気がした。どうしてなのだろう。後悔をしても後悔をしても、時は決して戻ってくれない。

”そうだね。僕はもっと素直になれば良かったんだ、奥さん。””いけませんわ。吉山さん、私には夫が・・・”って。

なんなんだ!?

気付けばウサギがテレビの前で横になって、ポテトチップスかじりながら”奥様お昼の愛の劇場(再放送)”を見ていた。「あぁ、スミマセン。ひととおりお掃除が終わりましたので一休みしていました。さっき、あなたに”お昼はどうします?”って聞いたのですが、何やらブツブツと独り言を言っていたので」

なんか、だんだん頭が痛くなってきた。

「ポテトチップスはやっぱりうす塩だね」
とウサギがテレビを見ながら言っている。

このリアルな夢はいつ終わるんだ?

こんな非現実的な午後なのに、どこまでもあたたかな、陽だまりのような日差し。僕は寝転んで、窓から流れる雲と青い空をぼんやりと眺めていた。笑いながらテレビを見ているウサギの声が、だんだん遠くなっていった。

・・・・・・
いつのまにか僕は夢の中にいた。この場合、夢の中で夢を見ていたといったほうがいいかもしれない。まぁ、どっちでも今は構わない。

そこには小学2年生の僕がいた。クラスで一匹のウサギを飼っていた。とてもかわいいウサギでクラスのみんなから可愛がられていた。夏休みなるとクラスのみんなで休みの間、順番にウサギの面倒を見ることになった。でも、僕はそのウサギにはまったく興味はなかった。だから僕のウサギの当番になっても、本当は家でアニメが見たかったし、となりの健ちゃん家に遊びにも行きたかった。

でも、さすがにウサギに餌を与えない訳にはいかなかった。小屋の掃除をしていなければ次の当番にバレてしまうし、サボることは出来なかった。

当番の日に、仕方なく僕はひとりで学校に行った。暑い夏の日だった。遠くに響くセミの声以外、何も聞こえない。まるでよそゆき顔をしたような静まりかえった教室で、僕は餌をあげたり掃除をしてそのウサギの面倒を見た。

ただ、掃除をしていてもつまらないので、僕はウサギを相手に仮面ライダーごっこをして遊んだ。適当に太い枝を見つけてそれを剣にして、ウサギをショッカーにして遊んでいた。

その時だった。

とがった枝の先が、間違ってウサギのお腹に当たってしまった。白いお腹が、カッターナイフで切ったみたいにきれいに割れた。大量の血がウサギのその傷から流れた。僕は気が動転した。どうしていいかわからなかった。僕は慌ててウサギのお腹を押さえたが、血は止まらずドクドクと僕の指の隙間から流れた。震える足で僕は日直の先生を呼んだ。

「何?どうしたの?いっぱい血が付いているじゃない!どういうこと?」

若い女性の先生は、悲鳴に近い声だった。
僕は怖さのあまり思わずこう叫んでいた。

「僕がウサギ小屋を見たらもう、血がいっぱい流れていたんだ!うそじゃないよ!」

僕の足の震えは止まらなかった。
何がなんだかもうわからなかった。

「そ、そう、きっと野良犬か何かのせいね。はやく動物病院行きましょう」

日直の先生は、急いで病院やタクシーに電話をしていた。それはだんだん泣き声に近いものになっていった。僕はただ、呆然とそこに立ち尽くすしかなかった。声にならない僕の心が何度も後悔をするだけだった。

「出血がひどいし、もう手遅れですね」

医者は感情のないロボットみたいにそう言った。僕はただ、途方に暮れた。どうしようもなかった。”本当は僕がやったんだ!僕がやったんだ!”心の中で僕は何度も叫んだ。そして何度も泣いた。結局誰にも打ち明けないままに・・・。

僕は日直の先生にお願いしてウサギを家に連れて帰った。まだ、絶え絶えだけど、ウサギは息をしていた。僕は、母親の心配をよそにその夜、ウサギとずっと一緒にいた。

ウサギの体がだんだん冷えてゆくのがわかった。やさしい瞳でウサギは僕を見つめていた。僕は泣きながらウサギに何度も何度も謝った。

「ゴメンね、ゴメンね、僕が、僕が・・・」

翌朝、ウサギは僕の腕の中で
冷たくなって死んでいた。

・・・・・・・

僕は目が覚めた。

気付けば僕の目からはとめどなく、涙があふれ出ていた。すっかり忘れてしまっていた私の幼い頃の出来事。そう、すべて思い出した。それは僕が昔、封印してしまった遠い過去の哀しい記憶だった。そうか、僕はうそをついたあの日から、ひとりになったんだ。

僕ははじめてそれに気がついた。

目の前にウサギが立っていた。
ウサギは僕を見つめながら泣いていた。

それはあのやさしい瞳だった。

「思い出したよ。君はあの時の・・・」

僕がそう言いかけたとき
ウサギがさえぎるようにして言葉をつなげた。

「もういいのです」

ウサギはぽつりと言った。

「私はうれしかったから・・・あの時、あなたが一晩中、ずっと私のそばにいてくれたから、私は何も恐れるものはありませんでした。ありがとう。あなたに思い出していただいて、ただ、それを伝えたかったのです。だから、あなたはあなた自身を、もう許してあげて・・・」

ウサギがだんだん透明になっていった。

「彼女とお幸せに・・・これが私の恩返しです」

ウサギの涙は不思議にしずくの形になって氷のように固まって落ちた。その涙が落ちる度に、フローリングの床がカランコロンと音が鳴った。それはとてもきれいなメロディになった。

”恩返しもなにも、僕は君を死なせたのに・・・”

ウサギは少し微笑んで、やがて消えていった。

僕はまた目が覚めた。

今度は本当に夢から覚めたのだろうか?
目の前にはもう、あのウサギはいなかった。

窓の外は今にも夕日が沈みそうだった。やっぱりあれは、まぼろしだったのだろうか?しばらく僕がぼんやりしていると、部屋の隅に何か小さく光るものがあった。それを僕が指でつまみあげると、パチンといって消えてしまった。

それは確かにしずくの形をした涙だった。

やがて部屋が薄暗くなると
ふいに僕の携帯から着信音が鳴った。

彼女だった。

「ごめんね・・・」

彼女もまた泣いていた。

僕は車のキーを持って急いで部屋のドアを開けた。
秋の冷たい風が、街の匂いと一緒に部屋に流れこんだ。

外はもう、夕闇の中、白い月が浮かんでいた。

それはとてもきれいな満月だった。



おしまい。最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
青木詠一

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最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一