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ロバート・マンチの絵本「ラブ・ユー・フォーエバー」と受け止める強さ。

一冊の絵本がある。タイトルは「ラブ・ユー・フォーエバー」。有名な絵本作家のロバート・マンチの絵本。お母さんが赤ちゃんを抱いたやわらかな挿絵になんとなく、私はページをめくっていた。

この絵本は、娘のまーちゃんが、当時、小学生の頃に買ったもの。かなり昔の絵本だ。(私が買い与えたものじゃなくて、まーちゃんが選んで自分で買ったものだ。)

この絵本には、ひとつの人生と愛情の深さが、短い文章と絵の中に、あふれそうなほど込められていた。こんなに短い絵本には、私にとって、どんなに長い小説さえもかなわないくらい、心を動かす何かがあるような気がする。

その一部を紹介したいと思う。

生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて母親はこう歌う。
アイラブユー いつまでも
アイラブユー どんなときも
私が生きている限り
あなたはずっと私の赤ちゃん。

赤ちゃんはどんどん大きくなって、少年になり、大人になる。それでも母親は夜になり、息子がぐっすりと眠っているのを、確かめると息子を抱っこしながら歌を歌う。

アイラブユー いつまでも。
あなたはずっと私の赤ちゃん。

やがて年老いた母親は歌を歌えなくなる。母親につらく哀しい思いをさせつづけた息子は年老いた母親をはじめて抱いてこう歌う。

アイラブユー いつまでも
アイラブユー どんなときも
僕が生きている限り
あなたはずっと僕のお母さん。

その夜、自分の家に帰った息子はしばらくの間、寝室の前に立ち止まる。やがて息子は、生まれたばかりの女の子を抱いて歌を歌う。昔、母親が歌ってくれた歌のように。

アイラブユー いつまでも
アイラブユー どんなときも
僕が生きている限り
お前はずっと僕の赤ちゃん。

ロバート・マンチ「ラブ・ユー・フォーエバー」より

物語を短く要約したので、この絵本のすばらしさを、残念ながら伝えてはいない。この絵本は、読む人によっては、母親のゆがんだ愛情と感じるかもしれない。大人になった息子でさえも夜中にひっそりと息子を抱いてそう歌うのだから。でも私はそうは思わない。ピカソの絵が素敵に感じるように、絵本でも、その形から伝える何か大切なものを、読み手(または見るもの)がちゃんと受け取るかどうかということなのだろう。

この母親は、いつまでも子供を抱きつづけた。大人になっても抱きつづけた。やがて息子は、年老いた母親を抱き、やがて自分の赤ちゃんを抱く。何も語らなくてもただ、それだけで、母親はその愛情を息子へそして息子は自分の子供へ。こんなふうに受け継がれてゆく親と子の愛情とその絆。

本当の愛情は言葉なんていらない。心から抱きしめてあげればいいんだ。単純な私はそう思ってしまう。いけないことだろうか・・・。

大人になるにつれ、人は心から人を抱きしめることをしなくなるような気がする。小さな子供の頃や、思春期の頃、あんなにあどけない笑顔で誰にでも抱きしめていたのに。友達とケンカをして、泣いたあとに仲直りしたあの時も、初めて試合に勝ったときの、あの大切な仲間達とも。あんな想いは、なんだか遠い昔のようで、とても懐かしく思う。

思えば自分の子供でさえも、今では抱きしめなくなっていた。もちろん、大きくなった子供では、それは自然なことだろう。それでも、昔はあんなに抱きしめていたのに、という想いがほんのりと心を漂う。こんな当たり前だったことを、私はいつから忘れてしまったのだろうか。

この絵本を読み終えた私は、まるで誰もいない夜明けの海辺を、ひとり静かに歩いているような、そんな心穏やかな気持ちになった。

毎日、何か目に見えないものに急がされているこの日々が、まるで滑稽に思えてくる。この海辺を私はもっとゆっくりと歩こう。誰かに追いぬかれても構わない。この人生の中、急ぐ必要なんて何ひとつないんだ。大切なことは、それに気づく自分の勇気と、すべてを受け止める心の強さ。

私はいつだって家族と一緒に、この静かな海辺を歩いてゆくんだ。その手が決して離れないように、決してひとりで急がないように、子供や妻の手をしっかりと握って、おんなじ早さで、ゆっくりと、ゆっくりと・・・。

それでもいつかその手を離す時が必ず来るだろう。涙で見えなくなったとしても、その時こそ両手いっぱいに、愛すべきものを抱きしめよう。

アイラブユー いつまでも
アイラブユー どんなときも

そう心で歌いながら・・・。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一