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ひとり上手

昔から、ひとりが好きだった。
幼い頃、小学校の頃、中学の頃、いつも私はひとりでいた。友達なんて、いつも片手の指で数えられる。それくらいのものだった。でも、それさえも、本当に友達だったかどうかは私には自信がない。気付けば私は、いつも友達の輪から離れてひとりでいたのだった。

別にそれが苦痛というわけじゃなかった。楽と言えば楽だった。唯一心配されることといったら、このまま何も喋らなかったら、いつか言葉を忘れてしまわないだろうか?と少しそう思うことくらいだった。つまり、それだけ私は、ひとりでいたと言うことだった。

さすがに高校ともなるとこのままじゃ、ちょっとまずいんじゃないか?と思ったりした。あれは学園祭の時だったように思う。クラスのみんなで8ミリ映画を撮ることになっていた。それはちょっとしたドラマ仕立てになっていて、結構本格的だった。みんながみんな、役を与えられ、放課後遅くまで残ってがんばっていたのだった。

そして、学園祭当日にそれが放映された。しかし、なぜかスクリーンには、私ひとりだけそこにいなかったのだ。当たり前だった。私はそれに出ていなかったのだから。あの頃私は、クラスの全員がそれに出ていることを知らなかった。本当に私ひとりだけ・・・だった。

別にいじめとかそんなものでもなく、ただ、仲間にされなかっただけだった。それはたぶん、誰からも、それを私が望まないと思ったからだろう。あの頃の私を思えば、それは当然のことだった。

映画はありがちな学園恋愛物だった。みんなのぎこちない芝居に笑いがこぼれる。たくさんのNGに泣いて笑う者もいた。そして、映画が終わった時、何かを成し遂げたそれぞれの思いに、みんなが万歳しながら抱き合い、歓声を上げた。最後列で私はひとり、ぼんやりとそれを見ていた。

歓声と拍手の中、私はひとり、それがまるで光も届かないような深い水中で聞いているような、不思議な感覚を覚えた。知らぬうちに目から涙がこぼれていた。慌てて私はうつむいた。そんな私に声さえかけてくれるものもいなかった。ここから消えてしまいたい・・・本気でそう思っていた。

・・・・
あの頃、私は誰かと、どんなふうにしてしゃべればいいのかまったくわからないでいた。もちろん、必要な時は話すこともあった。でも、それはいつも表面的なことだけだった。友達のどんな言葉も、私はひどくどこか遠くに聞こえていた。

それはその人の心から、あまりにもかけ離れていたような言葉に思えたからだ。どの言葉が本当で、どの言葉がウソかなんて、周りのみんなはとても器用にわかっているのに、私だけちっともわからないように感じた。その度に私はひどく傷ついていたのだった。

傷つきたくなければ、誰とも話さないこと。つまり、ひとりでいること。それが私の結果であり、この心を守る哀しい選択だった。そんな性格から、私は大学に入ってからも寮生活や学校に馴染めずに、いろんな苦難を放り投げて、途中で辞めてしまった。

そんな私を見るに見かねて、今は亡き私の父が、ある仕事をすすめてくれた。当時、接客という仕事に、私はまったく興味がなかった。けれども音楽やオーディオが好きだったことから、電器店の店員という仕事についたのだった。

それは私のただの気まぐれだったのだ。

その気まぐれに、結局、約20数年間も付き合った。それは、なんて不思議なことだろうと今更ながらに思う。私がその仕事をこうして続けられたのは、ひとつの奇跡とも言える。

いわゆる人嫌いな私が、人と接し、話し、笑いたくもないときに笑い、誰かの言葉に傷つきながらもお詫びをすると言う、こんな接客の仕事をしていたのだから。普通、この性格を考えれば、最悪な職業選択だったと思う。

しかし、私はひとつ賭けてみようと思ったのだ。他人は本当に、私を傷つけるだけの存在なのだろうか?と。それを証明するには、この仕事はまさにうってつけのものだった。

結果的には、お客様という何か特殊とも思える他人の立場から、私は実に多くの言葉で傷つき、傷つけられた。クレームは、弱くなった私の心を、まるで見えない大きなナイフで、切り刻んでゆくような思いがした。

辞めてやる!辞めてやる!と何度もつぶやきながらも、そのどこか端っこに、必ず心温まる誰かのやさしい言葉があった。結果としてあったのだ。

あるクレームで、その人に対して恨みの感情さえ抱いていた私は泣きそうになりながらも、必死に努力した結果、その恨んでいた人(お客)から何度かこんな言葉をもらった。

「あなたがいてくれてよかった」と。

そのとき、私ははじめてこう思ったのだ。人は身勝手で、わがままで、実に恐ろしい生き物には違いはない。しかし、それと同じくらいに、人は誰でも必ずといっていいほどのやさしい心を、その見えない背中に持ち合わせている。

接客や理不尽なクレームを通じて、私はそのことにやっと気付いたのだった。それが私のこの接客と言う仕事の中で達したひとつの結論だった。

家族でも友達でもない、お客という特殊な他人の前で泣いた日を、私は決して忘れはしない。私にとって、それは一生の宝物なのだ。

・・・・・・・・・
時がもしも、戻せるのなら、あの学園祭の日に戻ってみたい。別に私はあの時のまま、ひとりだけ出演しないままで構わない。ただ、上映が終わって、みんなが抱き合って喜んでいる中、私もその喜びに加わりたいのだ。「よかったね、よかったね」と誰かの喜びを、自分のことのように分かち合いたいのだ。

あの頃、私に欠けていたのは、自分の心ばかり考えていて、他人を思いやる心がなかった。誰からも求められてないことに、勝手にひとり傷ついていた。自分から求めようともせず、与えようともしないで、誰からもやさしくされたいと思うなんて、それはなんと愚かなことだったのだろうかと、私はやっと気付いたのだった。

そんなことに気付かせてくれた接客という仕事は、どこか人生の縮図のように見える。それは私にとって、なくてはならない試練の場だったのだろう。

そろそろ自分のこの人生を、もう少し別な角度で見つめたいと思うけど、なかなか思うようにはいかない。接客やクレームと言う落胆の中から生まれる喜びを、まだ、この人生の縮図に味わいたいなどとと思う。そんな図々しい私がいるのかもしれない。

あの頃、思春期だった私は、大人になれば、何かが変わるだろうと思っていた。そして、こうして大人になった今も私は、やはりひとりが好きでいる。あの頃とは、ほんの少しだけ良い方向へ、変わったかもしれないけれど、私はもう、無理にひとりを後悔したりしない。

ひとり上手、いや、ひとり不器用な私の生き方も、それは私のひとつの人生であり、私がこの人生を歩んで行くことには違いはない。でも、決してこの人生は、私一人だけのものじゃないことを、私は忘れないでいたいのだ。

人は決してひとりだけで、
この世に生まれて来たわけじゃない。
憎しみや恨みではなく
誰かの愛や心があって
はじめて人は
この世に生まれて来るのだから。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一