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初の個展 『童心』

よし、やってみよう。
2ヶ月前の僕は渋谷の一室を予約し、確保した。
自分の”好き”を表現する。
それは、人生で初めてひらく、手づくりの個展だ。

さて、個展の開催を決めたはいいものの、何から手をつけたらよいかさっぱりわからない。どのような個展にしたいのかもハッキリとしなかった。ふりかえると、あのとき僕は勢いで未来の自分に賭けていた。

まず、場所だけは確保した。
そこから始めた。そこから始まった。

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個展の主題(テーマ)は?

自分が表現したいものを考えたとき、大好きな「古物」を用いることは必然だろう。では、僕が「古物」を通して表現したいことはなにか。それは、「人・自然・時を、"経る"という善さ」だ。

しかし、「経る」や「ふるい」などの言葉は僕のお気に入りであるが、個展の主題としてはしっくりこなかった。そこで、当初はキャッチーなものとして「多生」や「躓き(つまずき)」を主題の候補にした。

多生」は「袖振り合うも多生の縁」という諺から。「偶然すれ違った人でも、実は遠い昔から縁がある。その縁を大切にしよう」という意味で、僕と古物との縁や、人との縁を大切にしたいという思いから候補に考えた。"袖振り"の部分ではなく"多生"の部分を選んだのは、その"たくさん生まれ変わる"という意味を、古物の捉え方を通して"価値観の生まれ変わる"ことに、なぞらえたかったからだ。

さて、伝えたいことに適ってはいるが、どこか個展の主題としては小難しい感じもした。そこで、類語を調べると「躓く石も縁の端」という言葉に出会った。
「道端で躓いた石ころでも、実は大きな縁があるものだ」という意味で、まさに、世間では状態が悪いとして扱われ見向きもされないような古物を愛する僕にとっては、こちらの言葉に親近感が湧いた。

さらに、"躓(つまずき)"という言葉は元々好きな言葉の一つだった。教育を学ぶ中で、「つまずく」ということは大切であるからだ。それまでの自分や、当たり前を見直す機会として「つまずき」は大切な役割をもつ。「つまずく」ことで自分を考えなおすことができるのだ。その経験を重ねてゆくことで、人は常にさらなる善さを問題にして生きてゆける。

「つまずき」のない人間は、一見すると順調で問題なく思えるが、自分を問い直す機会もないので、従来の考えに固執・執着し、他者から学ぼうとしない。ゆえに成長することもない。だからこそ、僕は教育を学んだあの日、「つまずき」のプロになろうと思った。当時のノートには「めざせ、ツマズキスト」なる書き込みすらある。あらゆる「つまずき」を恐れることなく、新しい世界に飛び込み、当たり前を問い直し、経験を豊かに学んでいこうと決意した。

思えば、僕が教員免許を取得していながら教壇には立たず、自分のシビレる経験を求めて生きるようになったのも「つまずき」があったからだ。「つまずいた」からこそ、僕はこれから個展なるものまでひらこうとしている。親の言う道、誰かにとっての善さ、アンパイな選択、それらの先には安定があったかもしれないが、自分の生きる道は自分で決めることにした。ゆえに、膝がガクガクするような不安、眠れぬ夜、心ざわつく日もある。でも、これが自分で自分の人生を生きている証なんだ。
「つまずき」は自らの足で歩む人にしか訪れない。

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「躓」。はて、個展の主題としては、かなり骨太だ。テーマを決めた背景を語るだけで、胃もたれするほどに。僕の個展に足を運んでくださる人に「ぜひ、躓きに来てください!」と宣伝しようとさえ企んでいた。ところが、発表には至らなかった。どこか回りくどさを感じていたからだ。

こうして、noteに綴って主題を決める過程を語ってしまうくらいに「躓」という題は気に入っていたのだが、その分、初個展への気張りが激しくなっていた。もっと肩の力を抜いて、自分が自然体で表現できるようなテーマにしたかった。

そして、次に思いついたのは「」。自分が"素直"であることや、"素"の状態を感じて欲しいこと。金属や木、布など古物の"素材"を味わって欲しいことなどからも主題として好みだった。ただ、目にするとき・耳にする時にもっとワクワクするような感覚を求めて、さらに言葉を探した。

僕は、初個展その主題を『童心』に決めた。

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『童心』

個展をひらくと決めてからの2ヶ月間、出会った人や巡った展示・お店などに刺激を受けて、自分の個展では、僕のトコトン好きな空間を創りたいと猛烈に感じた。

まるで幼いころ家の近所に作った
あのひみつきちのような空間を。

展示とはいっても、美術館のように陳列するのではなく、僕が創ったひみつきちで僕が楽しくあそんでいるという「自然体」を表現する。

好きな空間を好きなものでつくる。
僕自身が童心に帰ってあそぶ。
そこに、いっしょにあそびたい人があつまる。

そんな個展。

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僕の「ここちよい」空間は自宅に。
僕の「かっこよい」空間をひみつきちに。
自分の善さを、"生活"の空間とは異なる空間で表現するとどうなるか。やってみよう。

渋谷という場所に創るひみつきち。せっかくなら、僕の大好きな古物の"味"を、"実物の色気"を体感してほしい。画像では伝わらない色味や触り心地など、実物に直接縁して感じる圧倒的なものがある。そのために、家ではない場所で古物を用いて表現をしてみる。

むかし、トミカやLEGOでつくった僕の町。その町で起こる自分だけのオリジナルストーリーを、僕はおかあさんに熱弁していた。あの感覚であそぼう。

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来てもらった人といっしょにあそべる、アトラクションも用意する。それは盛大な『おままごと』だ。

僕がひみつきちに持っていく、とっておきのおもちゃ「古物」を自由に使って、自分だけの町をつくるもよし。絵画をつくるもよし。音楽を奏でるもよし。アクセサリーをつくるもよし。映えアートをつくるもよし。それに題名もつけてみよう。さらに、古物はすべて購入することもできるという本気のおままごと。

この『おままごと』では、「見立てる」ということを通して、モノとの対話・自分との対話を体験できる。モノの価値とはなにか。価値を見出すとはどういうことか。『おままごと』は、モノと人に向き合うことで"価値"を問うアトラクションだ。

僕は幼い頃、父親と「モノボケ合戦」をよくやっていた。大阪で育ったということもあり、家の中にあるモノを使ってモノボケを披露し合った。枕ひとつでも、いろんなものに「見立てて」ボケ合うというトンチ合戦のようなあの遊びは、今思うと"考えの柔軟さ"を育ててくれていたように感じる。
ひとつの物事をいろんな視点から捉え直して、「ああも見える、こうも見える」と表現し合うことで、同じものでも人によって見え方は異なるということや「たしかに、そうも見える」という新たな思考を触発する作用もある。

いわゆる「おままごと」でも、食べられやしないのに、泥で「どろだんご」を丹精込めてつくる。そしておいしそうにいただく。だんごを"見立てて"いることを、作る側も食べる側も暗に共有している。それが「おままごと」の醍醐味であり、粋なところだ。

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「見立てる」という"考えの柔軟さ"は、生き方を豊かにしてくれる。僕は古物と生活をする中で、それを実感している。先入観を一度とっぱらって、目の前のものと対峙する。「自分」というものがより鮮明に感じられる瞬間でもある。そんな感覚を『おままごと』でぜひ、体験してほしい。

小学校に入る前のあの頃。砂場の小さなキラキラした小石ですらかっこよかった。それに何円の価値があるかなんて関係なかった。キラキラのカードも、キラキラのシールも、拾ったパチンコ玉も、ただの丸っこい石も。全部たからものだった。誰の評価でもなく、自分がよいと感じたものがよかった。

だから、僕のひみつきちに、あなたのお気に入りを持ってきてくれるのは大歓迎。自慢しに来てほしい。ぶつぶつこうかんなんてのもできるかも?

よいおもちゃ、たくさんもっていくぞ。
ひみつきちに集合だ。

さぁ、あの頃の『童心』に帰ろう。

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展示 日時と場所・お問い合わせ

et.bolero初個展『童心』
(展示即売会、入場無料)

26日(土)13:00〜20:00
27日(日)10:00〜19:00

渋谷「novore mini
東京都渋谷区桜丘町17-9-403号室
JR線南改札すぐ 渋谷駅西口より徒歩5分
東急線 渋谷駅32出口より徒歩5分
井の頭線 渋谷駅中央口より徒歩6分

お問い合わせは各種SNSのDMか
et.bolero@gmail.com まで。

※感染症対策のため、入場制限をさせていただく可能性があります。また、当日体調の優れない方はご来場をお控えいただきますようお願いいたします。
換気、消毒など随時対策をしながら開催します。

雨の予報も出ておりますが、
一村雨のあまやどりに。
お待ちしております。

個展を終えての感想はこちら


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