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知恵のある暮らし

僕が憧れるのは、おじいちゃんとおばあちゃんの暮らし。知恵のある暮らし。
いわゆる「おばあちゃんの知恵袋」的なものを感じられる瞬間が大好きだ。

日常にある不自由を、巧みな知恵と少しのユーモアで見事に解いてしまうおばあちゃんたちの知恵は、長い暮らしのなかで培われた魔法のようだ。
そんな方法があったのか!と、おばあちゃんたちの魔法にはいつも驚かされる。

そして、その知恵はおおよそ自然との共存や循環のもとに成り立っているから不思議だ。だれも無理することなく、だれに無理をさせるでもなく、自然の摂理の中で、あるものをうまく利用して暮らしている。なにより、おばあちゃん自身が自然体で暮らしている。だから、僕は知恵のある暮らしが好きだ。

太陽と雨で植物が育ち、それを食すものの排泄物は土を豊かにする。そしてまた植物たちの栄養となる。そんな循環・摂理の中で生きる。生活にひとさじの工夫を取り入れるように、梅干しや沢庵を漬け、まな板などの道具もカンナで削りながら長く使っている。椅子の座面や服がほつれた時は、針と糸を出してきてチョチョイと縫い上げてしまう。

現代機器など似合わない、より原始的な暮らしに近い生活には、生きる知恵がある。情報や機器に"使われる"のではなく、自分が"使える"道具で生活をまかなう。なにはなくとも心地よく生きるための知恵を備えているおばあちゃんの暮らしは、とてもやわらかい。
きっと、試行錯誤を繰り返し回り道をしながらも、自分の手で工夫を重ねてきたからこそ、おばあちゃんの知恵は育まれたに違いない。

限られた物資や環境の中で、いかによりよく生きるか。その問いに、原始的かつ自然体で向き合うときにこそ、その人らしい知恵は生まれてくる。
70年、80年ものあいだ暮らしてきた経験値は計り知れない。その蓄積から滲み出る発想や知恵は、よりよく生きようとするためのひとつの"解"を示してくれる。

シワシワの手から生み出される料理、しゃがれた声で紡がれる言葉。そこには、人間の深さ・人間性の深さがある。そして、どこか不器用な少しの茶目っ気を備えているから愛嬌もある。素晴らしい。僕もやがてはそうなりたいと憧れる。

ちゃんと無駄なことを通って、たとえ回り道でも自分の足で踏破してきたという説得力。経験に裏打ちされた人間としての味わいは深く、尊い。

ひとつひとつの経験を、蓄えてゆく。
自分で自分の人生を生きる。
僕が生活することの醍醐味はここにある。

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