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内なる豊かさへの興味

お気に入りの古物が、かなり集まってきた。
理想の暮らしへ向けて着々と少しずつ、すこしずつ。今となっては、生活のありとあらゆる場面を古いものと共に暮らすほどになった。

寝具、調理器具、食事の一式、お風呂場からバルコニーにいたるまで、もちろん服装も。全てお気に入りのものを揃えている。
僕のお気に入りは、ほとんどが100年前のものか、使い込まれ育った風合いのあるものだ。
はじめは服好きがこうじて古い服を集めるようになり、次第にアクセサリーやバッグなどの装身具を求めるようになった。そして、興味は次第にインテリアへと移り電子レンジが故障して以来は銅鍋と鉄のフライパンで料理をしている。

持っているだけでは満たされない

日常のあらゆる場面で、お気に入りのものを目にすることは幸せだ。自ら選んだものたちに囲まれ愉快に暮らせる。なにより、彼らと目が合うたびに心躍ること自体、物と人とのコミュニケーションにおいてとても豊かな作用だと思う。

しかし、ものが揃ってきたからこそ感じることがある。好きなものを所有するだけではどこか満たされ足りないということだ。

単なるインテリアとして置くだけでは、ただのお飾りにすぎない。「生活」の体験とは、ものを目にしたときだけではなく、ものを使ったときにこそより深く感じられる。生活で触れるという「実用性」は、僕が物を愛でるときのとても重要な要素だ。

思えば、そもそも僕が服を好きになったことも、アートのような面白い衣を日常として「身につけて」表現できるという理由が大きい。服から装身具、装身具からインテリアへと興味が広がってきたのも、生活の中で触れるという「実用性」に魅力を感じていたからなのかもしれない。

たとえば、お気に入りのカバンでおでかけする時、お気に入りの器で料理を食べる時、お気に入りの服で眠る時。生活の中でお気に入りのものを使えばこそ、衣食住の体感はさらに豊かにらなり、暮らしへの愛着すら湧いてくるのだ。

ゆえに、「使ってナンボ」という沼はとても深い。

内なる豊かさ

好きなものを集め、所有することで幸せを感じていた僕の興味は今、所有としての外見的な豊かさではなく、内なる豊かさに向いている。

では、僕が定義する内なる豊かさとはなにか。
それは生活の実際であり、ものの使い心地であり、ひいては暮らしの文化だ。

単にものを所有するのでもなく、鑑賞するのでもなく、まるでテーマパークの中に住むように。絵画の中で暮らすように。見るだけでは味わえない、物と人との生活の実際に焦点を当てて体感してみたい。

その望みは、単に物を買い揃えるだけでは叶わない。まずは憧れの暮らしをマネしてみることからはじめるとしよう。ものを使って家事をし、実際に暮らしてみることで使い心地を味わってみる。
普段使っている物を、お気に入りの"使える古物"に代替してアップグレードしてみる。暮らしに必要なものを上位互換してみる。

ある人やある文化に内在する能力や感性を、お金で買い得ることはできない。
ものの使い心地を実感するということは、ものを手に入れることよりはるかに難しい。試しに憧れの暮らしをマネしてみても、自分の文化としてすぐに染み込むわけではないからだ。自らに内在化するには、とても手間がかかる。そのためには、遠回りする必要がある。

しかし、長い時を経て積み重ねたこと、自らの内に染み渡ったものは簡単に崩れない。失うこともない。ならば、自らの内なる文化を"種から"愛でるように育んでみようじゃないか。

ようし、これからは
写真には映らない、内なる豊かさを求めて、「生活の心地」を探り、体感し、表現していこう。

料理・香り・ひととなり
ものを集めたからこそ興味が湧いた
内なるもの、文化や所作への関心。
形なきものへの興味

これは
ながい旅路になりそうだ。

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