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発掘工、自分を掘りさげる。

昨日、人生で初めてハローワークに行った。

「ここに来る人、こんなにもの人がそれぞれの事情を抱え、職業を探しているのか...」僕は驚きをもって眺めた。

平日の空いているという時間をめがけて行ったが、それでもかなりの老若男女が集っていた。あの人にはどんな事情があって、どんな未来があるんだろう。そして僕にも。

思えば、ちょうど一年前、初めての緊急事態宣言が出されて僕は新卒の就職先を失業した。
それ以来一年。本当に一年を生きた。いや、生き延びたと言おうか。

一時は、今住んでいる一人暮らしの家を出払って、実家に逃げ込もうかと模索したが、「住む場所を変える」ということは僕にとって、コロナ対策への憂慮にも増して重いことだと感じたため、今の場所を継続した。

大学の寮を出て以来住んでいる今の家は、かれこれ6年目になる。それだけ僕にとって住処、生活拠点を変えることは億劫なことなのだろう。

ただ、拠点は変わらずとも、その内容は歳を重ねるごとに変わってきた。洋服の変化にはじまり、家具から暮らしの様式まで、生活の内容そのものは6年を経て変わりに変わった。いや、まて、拠点を移すことが億劫なだけで、お金と時間があれば想うような場所に移り住むことも案外こころよいのかもしれない。と最近は考える。

この一年、市町村の住居確保給付金という制度を利用して、なんとか今の一人暮らしを維持してきた。毎月繰り越すごとに、住居を失うという不安に襲われながら、それでもなんとか僕なりに生き延びてきた。

じゃあ仕事はどうしたのかというと、失業してからしばらくは失意のあまり求職活動すらままならず、ただひたすらに一人こもり、病気にならぬように気をつけていた。11月からは前稿で書いた通り遺跡の発掘調査のアルバイトをしていた。そのお給料は毎月の支出赤字を抑える程度だった。

#振り返ると、この発掘工の仕事を通じて出会った人や、自分が"教育者"と慕う豊かな人たちと対話したことが、その経験が、この一年で最も尊く、僕に養われている。

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っどぅあアあああーーーーーーーっと広がる青空。
冬のにほんばれの下、僕は古いシャツ一枚で穴を掘った。遺跡調査の細かな作業では、人力が必須だ。どれだけ大きな穴を掘るにしても、ショベルカーなどの重機を使えば一瞬なのだが、丁寧かつ大胆に"調べる"ためには人の力でこそ仕事がなされる。そうした工期(予算)と、仕事の質の"塩梅"を理解し、いかに自分の仕事を果たすかということには、なかなか苦労した。

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そして、お昼休憩ではお楽しみの日向ぼっこ。
掘削して出た土(これを現場では残土と呼ぶ)をこんもりと盛った山に、大の字になって寝転がる。これがなんとも心地よい。
満点の陽を全身に浴びながら、冬のひやっこい風が頬をなでる。あぁなんと気持ちよいか。

発掘をはじめてしばらくは、この「残土山おひる寝」が僕のとっておきの愉しみになった。これだけでどれだけ腰の折れる仕事もやっていける気がした。

そして数ヶ月後、地図上で見つけた現場近くの定食屋さんが気になり、お昼休憩に余裕がある日に、意を決して訪れた。現場との距離からして、お昼休憩の1時間で食べて帰ってこれるかどうか不安を抱えながらの初訪問。おそるおそる暖簾をくぐると、そこは異世界だった。

このお店との出会い、その衝撃が僕の発掘工生活をとびっっっきりに素晴らしいものにしてくれた。

古きよき居酒屋を彷彿とさせるカウンター厨房には、割烹着風の服と頭巾を纏ったかわいらしい、おかあさん。そして腰を曲げてせっせと料理を拵えるおとうさん。お二方とも齢を素敵に重ねた風格がある。この人が作る料理は間違いなく美味しい。そう言えるあの雰囲気だ。

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店内はカウンター席とテーブル席がざっくり14席ほど。壁一面には店主が筆の手書きで綴ったであろうメニューの数々が貼られている。盆踊り会場の協賛提灯のように、それらがずらりと並んだ壁は圧巻だ。

僕はおそるおそる、カウンターの隅っこに座り、そこからメニューをゆっくり眺めた。気持ちはすっかり『孤独のグルメ』だ。独り言がとまらなくなる。「あぁ定食が勢揃いだ。これほどあるとなやむなぁ」「雰囲気は最高だ。古きよき小さな町の老舗」「メンチカツ定食、いいなぁ」「お、とんかつ定食がメダマなのか。」「がっつり生姜焼き定食とかでもいいなぁ」「あぁ、でもやっぱりこっちも...」

店内には常連と思しき作業着の男性と僕が一人。常連さんと店主のおとうさんが親しげに世間話をしている。その会話に、どこかからひっそり流れてくるラジオ放送をbgmとして、僕はメニューを決めた。

僕「メンチカツ定食...あっっ、メンチカツお願いします...。」

おかあさん「はぁい〜メンチィ〜!」

ここから伝説の舞台が開いた。

カウンター越しに繰り広げられる、阿吽の呼吸で展開する調理。おとうさんがお茶をくみ、おしんこうを出してくれた。どうやら手づくりのたくあんらしい。見るに鮮やかだ。おかあさんが主としてフライパンを握り、四角いフライヤーでメンチをカツにする。「ふぁらぐぁらっ!...」と揚がる小気味良い音は、最高の定食にふさわしい出囃子だ。

ふっと一息つくうちに、見事なメンチカツが目の前に出された。おとうさんがていねいによそったご飯と共に。
「ジぃぃいぃぃぃ」といななくメンチは生きているかのようで、楽しい。
テーブルにならべられたソースをすらりとかけ...
る前に、僕はもうメンチを頬張っていた。

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息をするたびにおいしさが脳を突き抜ける。一口。また一口。食べるごとにおいしさが全身を包む。感動とはこのことだ。

おしんこうと温かい緑茶、シャキッとするキャベツに口を潤しながら、宴気分だ。ふと、壁にかけられた文言に目が止まる。「ごはんおかわり一杯無料」なんということか。食べ盛りの僕にとってその文字列は幸せそのものだ。

おかあさんの暇を見計らって、僕はおかわりをお願いした。「ん〜、ふつうちょい、くらいで...!」
今思えばなんとも曖昧な注文だが、次いでおとうさんがよそってくれたご飯の量は、僕の心を見透かされたかのように希望どおりぴったりだった。こういう奇跡的なところにも、老舗のよさがある。なぜ通じるのだろうか。実に不思議だ。そして本当に幸せだ。

おかわりご飯をお供に全てのご馳走を平らげた。
そしてもう一つ。幸せな頼りがあった。
「食後のコーヒー、一杯どうぞ」
おかあさんが、僕の食べるペースを見ながら、カップを温めてここぞというタイミングでコーヒーを出してくれた。砂糖とミルク(喫茶店で見る小さなミルクポットで)を添えてある。なんとこの一杯もサービスなのだ。

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昼休み、まだ時間に余裕はありそうだ。
ここは、ひといきつこうじゃあないか。

こうして僕は食後の一杯をホッと済ませて、お会計をした。思わず、おとうさんおかあさんに「いやぁ、本当に最高のお昼でした。大好きな空間です。また来ます!」と告げていた。

それからというもの、僕は発掘に出勤するたびにそのお店に通った。およそ4ヶ月の間、必ず足をはこび、時には日替わり定食を、時には思い出のメンチカツ定食を頼んで心を満たした。
いや、むしろそのお店に通うために発掘していたといえるほどだ。仕事のために食べるんだか、食べるために仕事するんだか。

職場のプレハブ小屋に帰るたびに、「あのお店本当に素敵で、おいしいんすよ〜。ほんと感動ですわ」と先輩方に報告し、奥様方も、興味津々で聞いてくださった。
そして工期を終えるころには、一人また一人と、あのお店に行く人が増え、お店はほぼ僕の職場の人たちで貸し切り状態になるほど。(もちろん感染リスクをケアする程度に)
常連になる。ただそれだけで嬉しかった。
子どものころあこがれたお店とお客さんの関係に、そしてなによりあの味に、感動した。

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そんな日々で、縁ある人と対話を重ねた。
職場の燻銀な先輩方、愉快な奥様方、僕が尊敬している人、心やわらぐ友、最近自分の道を歩みはじめた母親...

12月に誕生日を迎えて以来、僕はInstagramやその他アカウントでの表現活動を停止していた。というのも、オンラインで人とつながる関係性に、どこか疲れていたという感覚があったからだ。
オンラインでいかによく魅せるか、発信するか。
そのために現実の生活を組み立てるような感覚に、いつのまにかなっていた。

僕は本来、オフラインである現実の生活が、生きていることそのものが美しいと感じていた。それを伝えるために、オンラインでの表現をしていた。ところが、どんどん体温が感じられなくなるように、オンラインでどのように魅せるか、見えるかに躍起になっていた感じがした。

もちろん、他者の視点を介してこそ、自分の理解がすすむというものだが、他者の眼ばかり気にかけていると自分そのものが乏しくなってくる。

世の情勢からして、人と会うことのないこの一年。オンラインでの繋がりを断ってしまえば、簡単に孤独になれる。一人暮らしであるとなお容易だ。その意味で、一度オンラインの関係に距離を置くことにした。そのかわり、現実生活で会う人、こと、ものに集中して、専念して、「自分の体温を自分の手で感じるように生活しよう」「生活を味わおう」とした。

その結果、4ヶ月経つ今では、生活の部屋はさらに古い世界に満ち溢れ、食べる時も寝る時も、お風呂の時間も、あらゆる場面で、好きなものに触れ、心震える空間を創ることが叶った。

生活の実際はまた別に表現したい。

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こうしているときも、まだまだ進化を続ける、さらなる善さを求めつづける自分としての拠点を、掘り続けてゆく。
発掘工は、土を掘り、自分を掘り下げていた。

その空間から、僕は昨日ハローワークに参じた。

そして今日、僕は100年前の一式を纏って新たな就活にゆく。次なる縁を求めて。

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