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僕のヨーロッパ紀行

僕はピリッと冷えたあの川の温度を知っている。

昼下がりの公園で寝転ぶあの長閑さも

古びた螺旋階段をのぼると軋むあの音色も

庭を華で、卓上を果物で彩り名画と化すあの感性も

街の中に家の中にクリスマスが灯るあの温かさも

僕は知っている。

「知っている」とは

僕にとって「知っている」とは、単に知識として理解しているということではなく、この命で体感したということだ。

たとえば、アルプスから流れる清い川の映像を観て、「あぁ雪解け水だから何℃〜何℃くらいね」と理解するのではなく、この両の足が痺れる感覚。

なぜ川を観て、足が痺れるのか。それは、あの素晴らしい色(こんなにも澄みわたったエメラルドグリーンがこの世にあるのかというほどの緑と白と青の混ざった色)をこの眼でとらえ、そこに恐る恐る裸足を入れると、爽快さの後にやってきた血管を裂くような冷たさ、それを"体感"しているからだ。

アルプスの川の冷たさを知っているのは、この世界で僕だけではないし、べつに知っているからといって特別な人生を送れるわけでもない。ただ、アルプスの川を観て足が痺れるという体感が自分の内にあるということは、僕の生きた経験だ。
僕にとってアルプスは"教科書でみたあの山"ではなく、「この眼でとらえ、この足で感じたあの山(のみならず川)」となっている。僕の内に、「あのアルプス」があるのだ。

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他にも、このような経験がある。僕にはシリア出身の友達がいて、彼とはドイツ留学中に学生交流の会で知り合った。シリア出身の人と実際にお会いして交流したのはこれが初めてだったので、出身を聞いたときは驚いた。

「Japan」といえば"マンガ"や"アニメ"と即答されるように、僕にとって"シリア"と聞くと「紛争真っ只中」というイメージだった(あまりに浅はかな知識だったと思うが率直な感想でもあった)。

ニュースで見たあの戦地から、よくぞ来てお会いできたもんだ!と僕が感嘆していると、彼はキョトンとして「まぁたしかに戦は頻繁にあるけど、私の住んでた地域はそんなに驚くほど危険ではないよ」と僕を諭す。その後は、シリア語で「ありがとう」を何と言うのか?や、シリアで有名な観光地を教わって、一緒にサッカーのボードゲームやマリオカートで遊んだ(彼がまたゲーム事にめっぽう強いことには参った)。

こうして、僕にとってシリアは"遠いどこかの国"ではなくなって、「あの彼が暮らす地」となった。僕の"内なるシリア"の解像度が増したとも言えようか。

このような経験を重ねることで、僕はアルプスを見るとあの川の冷たさを瞬間的に足で想起し、シリアの紛争を聞くとあの彼の無事に想いを馳せる。「どこかのなにか」という無関心の状態ではなく、僕の命に経た「あの地」「あの人」という存在が、僕とこの世界を色濃くつなぎ、豊かなものにしてくれている。

僕の外にある世界はまだまだ知らないことに溢れている。であるからこそ、この命で経験し、知ることで僕の内なる世界は確かに広がってゆく。そして、その内なる世界を頼りに、また未知なる外の世界へと繰り出してゆく。
つまり、僕はアルプスに流れる川の冷たさを知っているが、この足で登ってはいないので、山の険しさが如何なるものかということは知らない。こうして新しい興味が派生し、新たな経験のきっかけとなるのだ。これをひたすら繰り返すことで人間は豊かに学んでゆく。

僕が教育実習の時に感じた「自分がシビレる経験」の乏しさ。あの反省をもとに、休学・留学時から重ねているのは僕の「生きた経験」だ。アルプスの川やシリアの友との交流は、まさに僕がシビレる経験!それそのものなのである。

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自らの再誕

日本にいながらも、いや、日本にいるからこそ感じられるヨーロッパで生活したあの日々の心象。

観るものなす事すべてが新鮮で、まるでもう一度生まれ変わって、1歳から新しい人生を始めたかのような毎日。着る服、住む家、食べるもの、話す言葉...同じ人間なのに16時間も空を飛ぶとこんなにも暮らしが異なるのかと驚きの連続だった。見かけたカラスやハトでさえ、違う言葉を話しているような気がして少し戸惑う。同じはずの空も、どこか今まで見てきたものとは似て非なる顔色に感じられた。

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明治のはじめヨーロッパに留学し旅をした"かの偉人たち"もこんな思いをしたのだろうか。

イチロー選手が引退会見の時に語っていた「自分が外国人になる体験」に近しいものも味わった。

異国ではまだ幼い僕にとっては、近所のスーパーでレジに並び、お会計をするのでさえも冒険だ。

「.....??」
おそらくポイントカードはもっていますか?的なことだろうけど、「いいえ」と言っていいものだろうか。

「........!?」
また何か聞かれた!?はてさてどうしたものか。ひとまず「いいえ」で答えよう。
とにかく元気に笑顔で挨拶をすると、レジのご婦人は少しニコっと微笑んで、商品を勢いよく跳ね除けスライドさせた⁉︎
(日本ではレジ精算後カゴに入れてくれたり袋に入れてくれたりするが、ここではすべてセルフサービスなのだと知った!)

はてさて、これできちんとお会計は済んだのだろうか?そんなこんなを繰り返しながら、"おつかい"という大冒険を重ねた。

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留学した当初は、買い物から料理、洗濯、公共交通機関での移動、契約などの手続き、もはや寝ることや起きることも冒険だった。日本で20数年間暮らしてきて、当たり前だった日常のあらゆることが、すべて挑戦となり課題となり、冒険となっていた。

日本である程度は大人になって来たのだから、それなりに生き延びる術を持ち合わせてはいる。けれども、子どもに帰ったように、新しい言葉を覚え、新しい世界を体感し、似たようで異なる目の前の文化模様に心躍らせた。
この大人と子どもを行ったり来たりするような感覚、文化のハザマに立ちながら自分の経験を再構築してゆく感覚は、妙に気持ちよい。

言葉を覚えるにつれて、関わる人ともより深く、親しくコミュニケーションがとれるようになって、大好きな蚤の市では流暢に値切ることさえできるようになった(もはや蚤の市・アンティークマーケットこそが僕にとって一番の教室であった)。

英語を遣えばここまで苦労せずとも生活できるのだが、そこは心がけて現地の言葉を遣うようにした。ドイツではもちろん、ノルウェーに行った時も、チェコに行った時も現地の人から現地の言葉を教わって、僕なりにコミュニケーションをとってみた。

現地の言葉を遣うと、不思議なまでに相手の表情が和らぐ。習いたてのカタコトだったとしても、相手のことばに自分の想いをのせて話すことで互いの心の距離はぐっと縮まる。これが、どんな言葉を話していても、どこの国に生まれても、やっぱり人間は人間なんだなと思う瞬間でもある。遠く離れた地にいる人でも心を通わせられる、僕はこの感覚が好きだ。

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「野生的」だからこそある緊張感と自由

海外の国、とりわけヨーロッパと聞くと、日本で生活することに比べて犯罪への警戒感は増す。幸い自分は留学中に被害に遭うことなく帰国したが、それでもスリや拉致、テロに至るまで、日本ではまず経験する確率の極めて低いと考えられる犯罪が、自分のすぐそばにある状況である。
僕は基本的に「死ぬときは死ぬ時」だと心しているので、日本にいようが海外にいようが、その覚悟が変わることはない。しかし、そうは言ってもヨーロッパでの日常は"隣にナイフ"、否、それ以上に"となりに銃"がある生活環境だ。警戒を増すにつれ、自ずと緊張感が増すのは仕方ない。だからといって、安全圏である寮の個室から一歩も出ない、なんてわけにもいかないわけだ。

日本で生まれ育った僕の個人的な体感として、ヨーロッパに暮らす人々の空気は、犯罪的な観点からみると「凶暴」かもしれないが、コミュニケーションの観点から捉えると、ある種「野生的」であるとも言える。

「野生的」である分、自分の伝えたいことはハッキリと相手に伝えるし、その姿は堂々としても見える。感情に素直であり、自分の興味に対して敏感だとも言えよう。嬉しいこと、おかしいと感じたこと、お祝いごと、愛しているということ、日本で育つとなんとなく躊躇しがちなことも、ヨーロッパの風土で暮らす人々は生きいきと表現しコミュニケーションをとっている。ゆえに、人と人との距離がとても近く感じられた。

特に冬になると、日照時間が極端に短くなり、朝が来たと思ったらすぐに夜を迎える。さらに気温もグッと下がり、秋を待たずして雪が降ることもある。そんなヨーロッパの冬で人々は、各々の家に友人を招き合い、ホットワインの杯を交わしながら気長に談笑する。

かれこれ200年は経とうかという古いアパートの部屋にはキャンドルがあちこちに焚かれている。暖色のほのかな揺らぎが白い壁に影となってゆらめく。時には暖炉に当たりながら、あるいは、あのアコーディオンにも似た白い管を蛇腹に束ねたような温水ヒーターにあたりながら、宵を愉しむ。とってもゆったりと時間が流れるあのひとときは、なんだかクセになるものだ。凍える冬に生まれる温かな場が、やわらかに人と人の距離を縮めていた。

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また、人と自然との距離も近いと感じる。たとえば、厳しい寒さで夜も長いあの冬を超えて、やっと春らしい気候となった折には、街中の公園やカフェのテラス席に人があふれる。どの人も、自分のびのびとした表情で、おもいおもいの日和を満喫している。そもそも、結構大きな街にあって、こうした緑ある公園がきちんと保存・整備されていてることにも感銘を受ける。

大きな木の下、大の字になって寝転ぶあの伸びやかな雰囲気は、ただその姿を観ていても、実際に自分が横になってみても実に気持ちよい。(ただ、寝転んでもなお、虫などの気配が気になる自分は、やっぱり変に社会化されてしまったんだなとも感じる。)

時には街中で裸足の人を見かけることもある。どうやらナチュラリズム的な主義主張の意味合いもあるらしいが、それを加味しても、とても自由な風だ。裸足で電車に乗っていても、周りの人は怪訝な顔ひとつ浮かべない。日本では考えられない寛容な光景だった。

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大きな街をトラム(路面電車)や高速鉄道で離れると、数十分もせぬうちに、広大な畑が両窓に映り出す。ドカーーーっと広い野には、マーケットでみかけたあの野菜やあの花々が面々と敷かれている。そこに立ちそびえるは大きな大きな風車の列。各地を旅する僕を見送り迎え、手を振ってくれている様だった。郊外には、絵画でみるような自然あふれるヨーロッパの原風景があった。

総じて、ヨーロッパに暮らす人々は「自然がある」ことをとても大切に、「自然である」ことも大切にしていると感じた。大都市の中にあっても緑あふれる公園を備え、家の中では隅々にお花を飾り愛でる。生活の中に「自然がある」光景だ。
そして、自分の感じたことを素直に表情し、相手の意思もまた尊重される。自分を生きていいのだという「自然である」ことも大切にされている。ヨーロッパは元来、環境に対する意識が高いといわれるが、僕は留学の間にその文化的な背景を垣間見た思いがする。

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故郷おもへば

こうして、ヨーロッパで暮らしたあの日々を想うと、今でも学ぶことが多い。実際には交換留学として1年程の滞在であったが、それでも「あの地」は僕の新たな故郷となった。

人に学び、地に学び、育まれたこの経験。
それは、これからも旅を続ける者に勇気を興す。

とても幸せなことだ。
いつだって僕は
心で「あの地」に帰郷し、
心で「あの人」に再会できるのだから。

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僕が体感したヨーロッパの風景を言葉で綴った「たびびとのほん」は、こちらからもご覧いただけます。


YouTubeでは、映像作品「くさまくらのボレロ」をご覧いただけます。

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