見出し画像

留学・心理的サバイバル術(1)日本人留学生を取り巻く「神話」

最近、同年代(アラフィフ)の友人が語学留学していることをSNSを通して知った。1ヶ月間、朝から晩まで授業がびっしり詰まったコース。社会人向けの「ガチ」の語学スクールを選択したようだ。頭脳明晰で、私の十倍は行動力がある人なので、さぞかしバリバリと英語を使って楽しんでいるんだろうと思っていたのだが、ある日の投稿では「留学も終盤だというのに思うように英語で話せない」「他の留学生と比べても言葉が出てこなくて、落ち込む」という焦りや悩みがつづられていた。

その苦渋に満ちた文章を読んだとたん、私の眼前には、はるか35年ほど前のアメリカ・ミネソタ州が広がった。私が3年次編入した片田舎の大学は、その生徒も教職員も、ほとんどが白人のアメリカ人だった。1時間の授業で一言も発することができずに屈辱的な思いで立ち去る教室。すみっこで誰かが話しかけてくれるのを待っていたパーティ。多弁な他国からの留学生に「日本人も、もっと意見を言えよ!」とイジワルな口調で言われて、腹が立ったけど何も言い返せなかった留学生会議。

話せないことの悔しさ、情けなさは、経験した人でないとわからない。「日本人はシャイだから」「日本は"恥"の文化だから」「完璧主義だから」「そもそも意見がないから」、そんなもっともらしい理由を語る人もいるが、そんな単純な話ではないと私は思っている。

まず当たり前のことだが、日本人全員がシャイ(恥ずかしがり屋、内向的)ではない。少なくとも私も、その友人も、特にシャイではない。そもそも内向的な人間なら、わざわざ自分の意志で(&お金で)外国まで出向いて外国語なんで学ぼうとするだろうか。

完璧主義?確かに一部の人はそうでしょう。でも、不格好なクッキーを他人にふるまったり、スマホで適当に撮ったペット写真でカレンダー作ったり、自分で描いた絵をSNSに投稿したりする日本人の多さを考えると(もちろん、私もその一人)、わたしたちの気質を「完璧主義」と表現するのには無理がある。日本人が完璧主義者ばかりなら、どうしてカラオケという世界的な発明が日本で誕生し、こんなに人気の娯楽だというのか。

そう「日本人は〇〇だから、英語が話せない」というのは、多くが myth (虚像、神話)なのである。そして、その myth を一番信じているのは、日本人自身であるように思う。自らを、そして同胞を、理不尽なほど批判的な目で見ることで、私たちは一層身動きが取れなくなっているように感じる。

私が myth から解放されたのは、英国マンチェスター大学の恩師 Richard Fay氏のおかげである。彼は myth でがんじがらめになっていた私の話に根気よく耳を傾け、疑問を投げかけ、自ら1つ1つ呪縛を解く手伝いをしてくれた。鎧を脱ぐと全身の力が抜け、自分がすべきことが明確になって、行動へとつながる。そんな経験をした元留学生として、また、この「なぜか授業中に英語で発言できない」という事象を修士論文のテーマに選んだ一人の研究者として、いくつかお勧めの「留学サバイバル術」を書いてみようと思います。

次回の予告テーマは「教室で外国語で話せないのは、実は万国共通である

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?