商店街のイルミネーションが起こしたコミュニティ革命
まちなかに突如あらわれたドーム型テント
愛知県半田市にあるJR半田駅から徒歩3分ほど行った大きな交差点の角に一風変わった空間ができ、話題を呼んでいる。「やどかり公園」と名付けられたこの小さな空間は、蔵しっくたうん商店街(半田駅前商店街振興組合)と市民活動団体「たのしあん」が共同企画として始めたパブリックスペースだ。
スペースを広く覆うように敷かれた人工芝の上には、椅子やテーブル、ハンモックなどが設置されているが、その中でも中央に鎮座する半透明のドーム型のテント「たのしあんドーム」がひときわ目を引く。たのしあんドームには目立つように「ご自由にお入りください」と書かれていて、恐る恐るその中に入ってみると、そこは冬でもぽかぽかと暖かく、本棚があったりラックが設置されていたりして、まるで自分の家にいるような…いや、手作り感あふれるその設えからまるで貧乏学生の寮にいるような郷愁を感じさせながら、そこに入る人たちを懐かしい気持ちで出迎えてくれる。
テントの中にはこたつが設置されていて、誰でも暖を取りながら自分だけの時間を過ごすことができる。こたつの布団はピンと張られていて、不潔な感じは微塵も感じない。そしてここに来ると小さな子供連れの親子や、学校帰りの地元の高校生たちが、まちなかに現れた自分たちだけのひとときのプライベート空間を楽しんでいる様子を垣間見ることができる。
ちなみに補足しておくと、コロナが蔓延している時代性から、こんな密閉空間でと思う方がいるかもしれないが、テントの一部は常に開けられていて、日常的に換気がされている状態である。
他に類を見ないコミュニティ型イルミネーション
夜になると、ドーム型テントはイルミネーションに様変わりする。テント内側の骨組みのところに設置されたイルミネーションがキラキラと輝きだし、ドーム全体が青白く光り輝く。夜になってもたのしあんドームには人がいて、近くの飲食店でご飯を食べた後の大人たちや若者が楽しそうにイルミネーションの中で夜の余韻を楽しんでいる。
たのしあんドームのイルミネーションは従来のイルミネーションとは違った大きな特徴がある。従来のイルミネーションの多くは、光に対峙するように人が位置し、外から光を眺めるという関係性であるのに対し、たのしあんドームのイルミネーションは人が光の中に入り込むという、一種の参加型イルミネーションであることがまずひとつの大きな特徴だ。
ただ、参加型イルミネーションが物珍しいわけではない。東海地区であれば三重県のなばなの里のにある「光のトンネル」というイルミネーションは200mにも及ぶ光の回廊で多くの人を魅了しているが、この手の光の回廊の参加型イルミネーションは、その多くが観光型コンテンツやイベント型コンテンツに位置付けられる。
一方で半田のたのしあんドームが生み出しているものは観光的でもイベント的でもなく、「小さなコミュニティ」である。ドームの中のパブリックなイルミネーション空間をひとときのプライベート空間に転換させ、親しい人たちとコミュニケーションを楽しみながら、同じ時間を共有する。そしてそのコミュニケーション体験の感想をドーム内に置かれている手書きのノートに書き記し、その場を去ってゆく。そうやって小さなひとときのプライベート体験はノートを通じて次の誰かと共有され、アナログ的なソーシャルネットワークを形成する。
イルミネーション自体が地域のコミュニケーションの場として機能する事例は全国的に見ても珍しく、仕掛け人である商店街と市民活動団体がこの新規性に着想してこの事業を行っているかは定かではないが、結果として生まれたこの空間が他に類を見ない稀有なコミュニティ空間として機能しているのは確かである。
大人の気配を好まない若者
通常、若者は大人の気配を好まない。大人が見張ってることを察したり、大人が作り出してる感が出た瞬間に若者はその場を離れる。もしかするとそれは動物的本能に起因するものかもしれない。
たのしあんドームも確かに大人が作り出したもの。だが不思議なことに、ここには好んで集う若者がいる。その理由を、紐解いてみたいと思う。
キーワードは背徳感
やどかり公園(の中にあるたのしあんドーム)は、まちなかにあるパブリックな空間だ。半田市の中でもひときわ大きい道路の交差点にあり、目の前にはミツカンの本社ビルがそびえ立っている。
このパブリックスペースにあるたのしあんドームに入ると、そこが一瞬でプライベートな空間に切り替わる。ただ、あくまでそこはパブリックな空間であることには変わりない。透明なドームの中からは外の様子が透けて見え、得も言えぬ背徳感を感じる。こんなパブリックで丸見えな空間の中で、しかもで大通りの交差点で。私はこたつに入っている。そんなプライベートとパブリックの曖昧な領域を頻繁に行き来するような体験は、多くの人にとってちょっとドキドキするようなひとときだ。その絶妙なバランスで曖昧な領域を往来することから生まれるある種の背徳感を仲の良い人達と共有することが、若者たちの心をつかんで離さない。そしてそこで感じた背徳感は、彼らの中でも類を見ないほどのアナログ的な「ノートに気持ちを書き記す」という手法で、見えない誰かにメッセージを共有するのだ。
商店街は見守り、大いに使う
そんな若者たちの心をつかんで離さないたのしあんドームは、地元商店街の理事長である「かんちゃん」が毎朝一日も欠かすことなく清掃を行っている。こたつ布団はピンと張られ、次に使う人を気持ちよく迎える。一般的なイルミネーションならば商店街は電球の設置を行う(もしくは外部の業者に設置もお願いするのかもしれない)のみで、日常的な管理運営はほぼしないというのがよくある姿ではないだろうか。だが、こうやって日常的にこの場を愛し、管理するかんちゃんがいることで、地域内でこの空間に対する愛情が伝播していく。
昼に、ここを使う親子連れを見かければ商店街の人が声をかけたり、知り合いであれば差し入れをしたりする。夜にこの場所を使う人がいなければ、商店街の店主たちが集い、酒を酌み交わし、ウクレレを奏で、大いに笑う。
そこに廃れゆく商店街をとりまいていたネガティブな空気感はもうない。
自らが地域を愛しながら、他者をオープンに受け入る。正しさだけでなく、背徳感を感じるようなエッセンスを盛り込みながらあらゆる世代を夢中にさせ、それを許容する。2020年の12月から始まったJR半田駅前の商店街と市民活動団体たのしあんによる小さな小さなコミュニティ革命。
廃れゆく商店街やこのまちに、希望の芽が生まれ始めている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?