見出し画像

今野敏『惣角流浪』から

『惣角流浪』・今野敏・集英社文庫

武田惣角といえば、いわずと知れた武道家。合気道の素となった、大東流合気柔術、中興の人。
合気道を興した植芝盛平道主も武田惣角に習っている。

この本の中で私が注目したいのは、なんといっても、柔道の嘉納治五郎との対決?の場面だ。
治五郎は東大出身で、個人の技を誰にでも判るものにしようとしていたし、一方、惣角は自分の名すらろくに書けない、そして、全国を放浪し生涯道場をもつことがなかった。

その好対照の二人がやりあうところは、かたや明治になっても武士の心でいようとする者と、どんどん時代を先どりしようとする者の、歴史的時代の流れの象徴でもあり、作者はそこのところをよくとらえて描いている。

今野敏は私の好きな作家で、たいていは読んでいる。彼自身も武道をやっていて、今野塾を起こして教えている。
他にも、柔道の西郷四郎を主人公にした『山嵐』、松とう館流空手の『義珍の拳』、があるが、作家みずからが考え出した主人公で、ひとりの若者が格闘家に成長していく物語『孤拳伝』シリーズや、『虎の道、龍の門』等があり、
他にも、伝奇もの、刑事もの、SFもの等、幅広い分野の小説を書いていて、私は大好きなのです。

今野敏の『惣角流浪』からの受け売りなんだけど。
武田惣角は、道場をもたず生涯流浪した。
嘉納治五郎は、講道館を興し柔道の普及に努めた。

治五郎は、東大出身で(まぁ、だからと断定してはいけないかもだが)アタマで考えるタイプだから、誰にでもできるはずだと、いや、どうしたら(普通の人でも)できるようになるかを考えた。
結果的にどちらがより普及したかはご存知のとおりだが、そのことではない。

私は合気道をいささか習ったけれど。
合気道もまたしかりだと、いうところがあると思う。武田惣角の大東流は知らないのだが、私の習った合気会は、二代目道主に飛躍的に発展した。
それは、一般の人々に広く門戸を開放したからだ。
けれども、誰もが植芝盛平道主のようになれるわけではない。 これは現代においても同じだと思う。
………

私が思うところは、
身体とアタマ、といったことだ。

そして、二律背反。
一見、背反している様に思えることでも、実はそうではないともいえるかもしれないが。
よく解らない。

少なくとも、身体を用いる動きや所作は、反復練習を繰り返す経験の上に身についてくるものであることは間違いなく、 この体験というものが、まことにバカにならないと、痛感するしだい。

『惣角流浪』には、惣角が治五郎と対戦する場面が描かれているが、 その興味深いところも含め、身体とアタマ(心身統一)に関して、引き続き考えていきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?