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海外旅行①

私、海外旅行はいつも一人でだった。

最初の頃(二三度めくらいまで?)は、外国で日本人に出会ったとしても、あまり話したくないと思っていた。せっかく異国の異世界に来ているというのに、その異世界感が損なわれる気がして。

①最初の海外旅行は、インド経由ネパール、26歳の時だった。
この時はカメラさえ持っていかなかった。
記録保存より、生の感覚を大事にしたいと思ったから。なんだけど。
もはや、思い出はすっかり霞んでしまっていて、時間も40年以上経っていて、今から思うとやはり写真撮っておけば良かったという気がする。
この時の写真は、現地で出会った人(サランコット丘では日本人ムクチナートではドイツ人)が、撮ってくれたのを送ってきてくれたもの。

ネパールで、ジョモソムルートをトレッキングして、最奥地のムクチナートまで行った。
今やこのジョモソムルートは自動車道路ができてしまっている。サランコットの丘にもホテルが建っているし、何よりも、人家が増えた。

この40年の時間経過は大きいと、つくづく感じているしだい。

②二度めが、パリ&スペイン・ベンポスタ。
30歳の誕生日(1986年)にスペインにいた記憶が残っている。

③そうして、1991年初渡米。
カナダ横断のセイクレッドランがあって、私は途中参加のため、LAからカナダのウィニペグへ、グレハンバスで向かった。
サスカチュワン州側で合流して(ローカルオーガナイザーにコンタクトとって連れてってもらった)、フリンフロン(鉱山の街)~ウィニペグからモントリオールまで。その後アメリカ、Graftonへ。仏舎利塔が建設中だった。

④1992年も渡米した。
この年のセイクレッドランはアラスカからNM州サンタフェまでだったが、私はコロラド州デンバーで合流してサンタフェまで。

この時は、セイクレッドラン参加時間よりも、その後のが長かった。

サンタフェでレンタカーかりて、ラン参加者と堀越ゆみさんとで、ネバダ州核実験場へ。
ネバダ州核実験場で宮田さんとケケに出会った。

ネバダ州から、ラン参加者二人と、グランドキャニオン経由でナバホ居留地(BIG Mt.キャンプ場)へ。そこで1ヶ月くらいいて、(雪降って閉ざされてしまう前に)そこを出てからNM州アルバカーキへ。

ビッグマウンテンキャンプ場から国道までは送ってもらって、後はヒッチハイクでいくつもりでいた。
たまたま、乗っけてくれた人と話してたら、トーマスバンヤッカさんを知ってるとかで、なんとトーマスさんのお宅へ連れて行ってくれた。結局、トーマスさんのお宅に一泊させてもらったのだが、その時、なんと!なぁ~~~~~~~~~んと、(LAへ戻る)潤二上人たちが現れたのだった(○_○)!!

もぉ~~~~~~~~~もお、驚いたなんてもんじゃなかった。。!

アルバカーキからグレハンバスでNY州アルバニーへ、それからGraftonへ。仏舎利塔建設工事は、もう寒くて(水が凍っちゃうし)中止してた。

Graftonのお寺には、山口はる&カオリコや遠藤豊達がいて(堀越大二郎もいた)、純さんがカナダへの行進を企画していた。

私は滞米期限(ノービザOK協定期間)がとても心配で、その行進に参加するかどうか凄く悩んだけど、結局参加した。

そうして、1993年の正月をモントリオールで過ごし、セントローレンス川河口付近のセティールまで行って、モントリオールに戻り、
そこからLAへ飛んだ。(どーみても滞米期限はきれていたはずだが?アメリカに入国できた。カナダやメキシコへは出国したとみなされないのに)

LAの日本山妙法寺道場には島貫潤二上人がいて、一週間くらい一緒にいた。

⑤その次は2000年。
オーストラリア、タスマニア島、約10日間のみ。

(1993年にあった)オーストラリアでのセイクレッドランが再び行われると聞いて、当時佐久地域で宅配請負仕事していた私は半ば諦めていたのだけれど、なんとか代わりの人が見つかって、その人に私の宅配仕事を頼んで10日間だけ休みをとったのだった。
キャセイで、メルボルン入りシドニー発航空券。
メルボルン到着後すぐ翌日にはタスマニア島へむかった。タスマニア島一周してきた。

⑥2001年渡米。
前年オーストラリアから戻って間もなく、結局私は宅配請負仕事を辞めていて、まぁ、時間的には余裕あった。

この年も滞米期間は長かった。

LAでレンタカー乗って、グランドキャニオン経由ナバホ居留地へ。ビッグマウンテンキャンプ場には誰もいなくて、そこでの滞在は短くきりあげ、
フラッグスタッフでいったんレンタカー返し、グレハンバスでミネアポリスへ。

ミネアポリスでまたレンタカー乗ってリーチレイク湖畔のデニスバンクス氏宅へ。

更に、ND州、バットランド経由でSD州ウーンデッドニーへ。
その後Grafton。
そうそう。この年の9.11。。!

あの時私はGraftonにいたのだった。

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