異色のスプラッター×ラブストーリーなど 今見てほしい3本をご紹介【次に観るなら、この映画】10月1日編
毎週土曜日にオススメの新作映画をレビューする【次に観るなら、この映画】。今週は3本ご紹介します。
①心に傷を抱える少女と、アニメの世界へ行きたい殺人鬼が織りなす心の交流を描く「PARALLEL」(9月25日から劇場で公開中)
②ダイアナ元皇太子妃の半生を描いた初の劇場用ドキュメンタリー「プリンセス・ダイアナ」(9月30日から劇場で公開中)
③朝鮮戦争で国連軍と中国人民志願軍が初めて激突した「長津湖の戦い」を映画化した「1950 鋼の第7中隊」(9月30日から劇場で公開中)
劇場へ足を運ぶ際は、体調管理・感染予防を万全にしたうえでご鑑賞ください!
「PARALLEL」(9月25日から劇場で公開中)
◇現代社会の壊れた心と歪んだ愛を強烈な狂気と色彩の映像で描いた異色作(文:和田隆)
他人とのコミュニケーションがさらに希薄になった時代に、必然的に産み落とされた傑作か、それとも問題作か―。田中大貴監督が製作・脚本・撮影・照明・編集・特殊造形・VFXも兼任した本作は、自主製作映画の極みの一本と言え、作家の内から溢れ出た結晶である。
作品は、“心に傷を抱えた少女”と“アニメの世界に行きたい殺人鬼”が織りなす交流をスプラッターとラブストーリーを融合させて描いた異色作だ。賛否わかれるテーマを扱っており、人によっては内容や描写に拒絶反応を示すかもしれない。しかし、主人公たちが抱える傷に、次第に共感していく自分の中のもう一人の“自分”に気づくのではないだろうか。
幼い頃に両親から虐待されていた舞は、つらい過去と折り合いをつけることができず、親友と無為な毎日を送っていた。そんなある日、舞は美少女アニメキャラクターのコスプレ姿で殺人を繰り返している殺人鬼に遭遇。殺人鬼も不思議と舞に興味を抱き、正体を隠して彼女に接近する。舞は自身の心の傷を、殺人鬼は自分の本当の姿を隠しながらも仲を深めていき、やがてお互いの本当の心に触れることになるのだが……。
田中監督は、誰しもが持っているかもしれない心の傷と、他人には見せない本当の自分をつなぎ合わせようとするかのようだ。そのために、現実ではないアニメの世界で本当の自分を見出そうと逃避する殺人鬼による、現実世界での暴力や殺人の描写は容赦なく、赤い血しぶきがスクリーンを覆い、やがて両方の世界の境界線が曖昧になっていく。
だが、暴力によってトラウマを負った舞は、正体を隠していようとも、殺人鬼の中にもう一人の自分を感じとり、矛盾しながらもひかれていくように見える。そこには暴力への記憶を克服したいという願いとともに、痛みと血への欲求、自分も殺されたいのではないかという思いが見え隠れする。そして、この歪んだ思いは、お互いを癒し、現実世界で慰め合っていくかのように見えて、実は決して交わることはなく、他人の真の心を知ることはできないかのようだ。
ボカロ的な音楽とともに、劇中のアニメ作品はそれだけでしっかりと世界観が構築されている。また殺人描写や、過去の記憶、現実世界の日常の映像が、赤と青を基調とした色彩とともに押し寄せ、見る者を圧倒する。その一方で、懐かしい記憶や、静寂の風景と音楽、そして2人のどこか悲しげでありながら、愛を乞うような表情が、それまでの狂気との対比になっている。
楢葉ももなが長編映画初主演とは思えない存在感で舞を演じ、殺人鬼の多面性を芳村宗治郎が繊細に演じ分けている。振り切ったスプラッター映画としてだけでも充分濃度は高いが、ラブストーリーの形をとりながら、現代社会の壊れた心、稀薄化した人間関係、そして現実世界での本当の自分とは何なのか、という田中監督の真の思いが、見終わった後に響いてくるだろう。
「プリンセス・ダイアナ」(9月30日から劇場で公開中)
◇社会的な側面と人間的な側面の接点からダイアナの特異性を解き明かすドキュメント(文:矢崎由紀子)
エリザベス女王の崩御とチャールズ国王の即位によって、話題に上る機会が増えたダイアナ元皇太子妃。このドキュメンタリーは、チャールズとの婚約が噂された時から1997年に交通事故で不慮の死を遂げるまで、16年間の彼女の足跡をたどっている。
最大の特徴は、ニュースをはじめとするアーカイブ映像のみで構成されていること。とはいえ、アーカイブのどこを切り取り、どうコラージュするかによって、作り手の意図と視点は明確になる。エド・パーキンズ監督は、英国と王室にとってダイアナはどういう存在だったかという社会的な側面と、ダイアナがどのような女性だったかという人間的な側面に着目。双方の接点から、プリンセス・ダイアナの特異性を解き明かしていく。
ダイアナが嫁いだ英王室は、閉鎖的な旧世界だった。その世界で、20歳の初心なダイアナに求められたのは世継ぎを産むことであり、しきたりに服従することだった。しかし、想定外の事が起こる。親近感あふれるダイアナに国民が共感を寄せ、チャールズをはるかに上回る人気を獲得したのだ。劇中、スーパーマーケットの店内放送でダイアナの懐妊がアナウンスされる場面が出てくるが、ここからも、ダイアナの人気がいかに庶民に根付いていたかがわかる。
言うまでもなく、人気者のダイアナはマスコミを引き寄せた。そして、彼女に群がったマスコミは、旧世界の扉をこじ開け、スキャンダルを白日の下にさらした。このとき、直接的にせよ間接的にせよ、スキャンダルの矢面に立たされたダイアナは、王室の権威を失墜させた張本人とみなされてしまう。本来なら守ってくれるはずの夫に背かれ、女王をはじめとする王室メンバーにやっかい者扱いされ、居場所をなくした孤独なダイアナ――。しかし、彼女はしぶとかった。離婚調停のあと、マスコミが大挙して押し寄せると知ったうえで、ダイアナは結婚指輪と婚約指輪をはめて現れる。「離婚は不本意。私は結婚を続けるために努力した」という意思を示すために。人間ダイアナの真の強さを、パーキンズ監督は強烈に印象づける。
その後、私人になって俄然輝き始めたダイアナについては、ナオミ・ワッツ主演の「ダイアナ」の題材にもなったが、このドキュメンタリーは、そこに至るまでの成長の記録として興味深い。「スペンサー」のエキセントリックなダイアナとも、「ザ・クラウン」の悩めるダイアナとも違う、負けなかったダイアナがここにいる。
「1950 鋼の第7中隊」(9月30日から劇場で公開中)
◇中国映画が渾身でよじ登った、戦争スペクタクルの到達点(文:尾崎一男)
朝鮮戦争を起点に繰り広げられた、アメリカを主勢力とする国連軍と、北朝鮮を支援する中国軍の戦いに迫る超巨編。なかでも両方が最初に兵勢を交え、激甚を極めた「長津湖の戦い」を、本作は製作国(中国)らしい史観と主張のもとに活写している。もっか冷え込んだ米中関係を思うと、そこに穏やかとはいえぬプロパガンダな香気を覚えなくもない。
とはいえ物語は、従軍する人民志願軍兵の伍千里(ウー・ジン)率いる第7中隊を軸に、中国軍と首脳陣、延いてはアメリカ軍側の3視点を至妙に撚り、鑑賞のノイズになるほど強いバイアスは感じられない。大状況に翻弄される人間ドラマがときおり感傷過多となり、自国の大衆に向けて高邁な理想をうたいがちになるものの、いっぽうで息をもつかせぬ難関突破の連続が、インターナショナルで勝負する気満々な戦争大作の興奮を与えてくれる。
そう、なにより驚くべきは、市場の拡大に応じて制作規模も膨れ上がった中国映画が、はたしてどこまで破格の戦争作品をものすることができるのか――? その回答として、本作の仕上がりには圧倒されてしまうだろう。とりわけ人海戦術と精度を増したCGIが生み出すスケール感は、ハリウッドに一歩も引けをとらない。「プライベート・ライアン」(98)の登場以降、同ジャンルは観客と兵士の視点を一体化するライド傾向がウエイトを占めてきたが、そこからは一歩引いた、パノラミックな群像劇としての眺望絶佳を味わうことができる。
また、このように旧来の戦争大作寄りな要素として、「史上最大の作戦」(62)や「トラ・トラ・トラ!」(70)と同じ複数監督体制を敷いているのが挙げられる。しかし交戦勢力ごとに各監督が演出を担当したそれらとは違い、本作ではドラマ部分と戦闘アクションパートで分担がなされている。そのため前者はチェン・カイコーらしく叙述かつ情調的に、後者はツイ・ハークやダンテ・ラムが激しくテンションMAXでといった、両者がおりなす緩急コントラストも、3時間近い長丁場を牽引するパワーとなっている。そんなアジア映画の実力者を総動員したところもまた、国家の威信を示そうとする圧が強い。だが前述の諸要素を承知のうえで作品にあたれば、見応えになんら不自由はしない。中国が渾身でよじ登った、まさしく戦争スペクタクルの到達点だ。
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