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ヒッチハイク日記 ハイウェイに連れてって

 学生の頃、ヒッチハイクで全国を回ることが趣味だった。なかでも、卒業旅行のつもりで行った中四国方面へのヒッチハイクの旅は、旅程が長いこともあり印象的だった。

用賀のマックは、ヒッチハイクの聖地

 ヒッチハイクに必要なのは、ノートとマッキー、これだけだ。だから思い立った時に旅を始めることもあった。私はかならず験担ぎのように、「マクドナルド用賀インター店」の前の道から車を拾い始めることにしていた。この場所は「ヒッチハイカーの聖地」として有名なので注目してもらいやすいのだ。
 その時私がまず向かおうとしていたのは、大阪だった。当時あいりん地区の様子と行政の問題について気になって調べていたので、ドヤ街に詳しい地元の方と会う約束を取りつけていたのである。かといってスケッチブックにいきなり「大阪方面まで」と書くわけには行かない。少しでも確実に前に進むために、一番近いインターの名前を書いて掲げるのが、ヒッチハイクの基本的なテクニックだ。
 「海老名インターまで」とキャンパスのノートに書いて、すうっと息を吸い込み、道路の方へしっかり開いて見せた。やはり最初に目的地を掲げる瞬間は本当に恥ずかしい。2月の寒空の下で手は冷たいが、運転中の人たちと目が合うたびににっこりと微笑んだ。「優しそう」「乗せても安全そう」というところをアピールするためである。
 掲げてから1分も立たないくらいであろうか、一台の軽自動車が私の方に車を止めた。足下に置いたザックを掴んで走り寄る。運転席にいたのは男の子二人組で「狭いけどよかったら乗っていきますか」と優しく声をかけてくれた。聞けば同い年で、大阪にアイドルのツアーを見に行くところらしい。二人が好きなアイドルの歌を聴きながら、夜通しサイリウムを振っているうちに、あっという間に大阪へ到着した。

大阪について二人とたこ焼きを一緒に食べた。

「センター」とその周辺

 あいりん地区を案内してくださる方からは、「早朝がいいですね」と指定があったので、朝7時にお会いした。夜と違い、朝のあいりん地区はがらんとしていて、寂しい雰囲気である。

あいりん地区の建物。茶色いビルと隣の青いビルを比べると、茶色いビルは人がたくさん入居できるように、天井が低く造られていることがわかる。

 あいりん地区では行政による労働者排除が問題になっているのだが、今その一番の争点になっているのが「あいりん労働福祉センター」についてである。このセンターは、センター内で労働者や野宿者が寝ることも許されている。しかし大阪府がこのセンターを閉鎖し、より狭く、野宿者が入れない場所に移転しようとしているため、労働者が反対運動を起こしているのだという。(2019年4月に閉鎖されました)たしかに、センター周辺にも、路上で寝泊りができないように大きいコンクリートで出来た花壇が作られている場所がたくさんあった。花壇の中には小さい雑草が生えているばかりである。しかし野宿者を追い出した後に寝泊りする場所を、府が用意しているわけではない。
 その時は特別にセンター内もご案内いただいた。相談室やトイレなどの個室の他は、がらんと広いひとつながりの空間になっていた。食堂で朝食のセットをいただいたが、今でもあの出来立ての卵焼きの味が忘れられない。

センター内でいただいた朝食。

しまなみ海道へ

 大阪での約束の後、慌ただしく向かったのは香川県である。ここで友人と待ち合わせをしていたのだ。
 この時は基本、カラオケかネットカフェか道の駅で寝泊りして、朝早くに銭湯で体を洗っていた。この時もカラオケで一泊寝泊りして、大阪から兵庫へ、兵庫から広島の方へと移動を続け、しまなみ海道の入り口へとたどり着いた。ここを歩いて渡ってみたいなと、呑気に考えていたのである。

曇り空だったが眺めがよく、最初は爽快な気分で歩いていた。

 最初のうちはゆったり散歩を楽しんでいた。しかし、夕暮れになっても海道の半分程度しか進んでいない。背中のザックはきつく肩に食い込み、革靴で足も擦れている。もうこれは、島民に拾ってもらうほかない。ちょうどそこへ、50代くらいの男性が原付で通りかかった。思わず「すみません!」と声をかけて交渉するとかなり驚いていたが、タンデムで次の島への入り口まで乗せてくれることになった。
 しまなみ海道を下って下道に入る。きらきらした海道の光がどんどん遠ざかるのを、原付の後ろから眺めるのは爽快だった。ところが、その先の下道には、街灯が一つもない。原付のライト2つがぼうっと光っているのが見えるだけである。掴まっているその男性に、「けっこう暗いですね!」と話しかけてみたが返事がない。今どこを走っているのか、そもそもこの人は声をかけて大丈夫な人だっただろうかとだんだん不安になってきたが、後の祭りである。
 そのうちに、突然原付が止まった。降ろされた場所は森の入り口のようであった。「この先を進むと、また次の橋にたどり着けます」と言い、彼は私を置いて去っていった。ここで降ろされたら、もう言われた通り森を突っ切るしかない。持っていたライターについている小さいライトの光をたよりに、恐る恐る進みはじめた。
 小さい獣が敷から出てくる音や、鳥のさえずりに驚きながら森をいくつか越えた。何時間くらい歩いていただろうか、四つ目の森を抜けると、真っ白に光る建物が遠くに見えた。ファミリーマートだった。「助かった」と思った。こんなにありがたいファミマは人生で二度とないだろうと思う。

讃岐富士を拝む

 翌日、なんとか近くのインターまで歩き、香川県方面に向かうためにまたノートを掲げた。しかし交通量自体が少なく、これは長期戦になりそうだと覚悟した。
 一時間くらい立っていただろうか。休憩で止まっていた観光バスから若い男性が降りて来て、「乗っていく?」と声をかけてくださった。観光バスに拾われるのは後にも先にもこれが初めてである。聞けば、丸亀市のボランティア団体でバスを貸し切って、ツアーに出かけていたという。私がバスに乗り込んで挨拶すると、「ヒッチハイカー、初めて見た!」と、みんなまるでUMAを見たときのような反応をしていた。
 丸亀の地元の方が集まっている機会にぜひ聞いておきたいと思い、「おすすめのうどん屋さんはどこですか?」と質問したところ、一人一人に強いこだわりがあり、あーでもないこーでもないとバス全体で大論争が始まってしまった。やはりうどん県といわれるだけある。では、「丸亀おすすめのスポットはありますか?」と聞いたところ、みんな考えこみ今度は場が静まり返ってしまった。しばらくした後一人がぽつりと「讃岐富士は綺麗だけどねえ」と呟いた。讃岐富士とは、丸亀市と坂出市の間にそびえる飯野山の通称である。香川県は降水量が少ない土地で、水を確保するために溜め池があちこちにつくられている。その溜め池に、讃岐富士と朝日が映る様子がとても美しいのだという。見てみたい!というと、なんと溜め池の近くに住む方がお家に泊めてくださることになった。急遽知らない人が泊まることになったにも関わらず、ご家族で温かく迎え入れてくださり、うどんと香川県名産の「しょうゆ豆」までいただいてしまった。

いただいたご飯。うどんはうどん用の醤油をさっと回しかけて食べるのだという。

 翌早朝、泊めてくださった方と一緒に犬の散歩に行った。そこで見た讃岐富士は、丸くやさしい形をしていた。子どものころに作った砂山のように、人の手で固められたような綺麗なお椀型だ。そして溜め池には見事な逆さ富士が映っていた。一時間ほどかけて溜め池の周りを柴犬と散歩しながら、ゆっくりと目に焼き付けた。

早朝の讃岐富士。

 今思えば、若気の至りだなと思う旅だったけれど、乗せてくださった方との思い出には今も励まされている。(文・クサナギ)


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