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自分のためにとは【#エッセイ】

忘れがちな自分軸


ものすごく間が空いてしまった。
なぜかは小さき事が詰んでしまったからだろう。
まあ、とにかく自分を責めるのだけはよそう。

いくつかメモに残した話をしていこう。
(思いついた時は、ゾーンにはいってしまうので
そのままnoteにかけない)

今回は、「働く」について。



「働く」の視え方

働かなくては…と考えてしまうから
苦しいのでは…と思った深夜2時。

現在、私は専業主婦兼配信者として生きている。

傍からみれば、「無職」「ニート」。
「専業主婦」という肩書きは世にみえにくいようだ。
(親友と思っていた人間にまで、そう見えているのだから
心外だ。)

子供がいようがいまいが、養ってもらっていようが、
”夫”という一人の人間に対して、少しでも愛情をもって
家事・炊事をするのは「働いていない」ことになるのだろうか。

会社に属して、外に出て、成し遂げることだけが
総てではない時代ということに今一度、
自身の視る目を改めてみるといい。


自分軸の置き場所


結局、自分が働ける環境はなんだう。。。と
考えだした朝方。

ひたすら求人サイトを見漁ったところで
気持ちが追いつくはずもなく、
焦る日が続いてしまった。

この時点で自分軸は置き去りだ。

そして一番まとわりつくのが、
「お金」だ。

目先に「お金」が出てくるから、
「働いていない」のレッテルが貼られるような気がする。

もちろん、生きていくうえで必要なものだ。
あくまでものだ。
それの使い方や貯め方は、自由というのが
お金の本質だろう。

ということは、「働く」環境や内容はなんでもいいわけだ。
(急にどうした。)

そう思わなければ、自分軸は無いに等しい。
ーーーーーどこまで根深く気を遣わなくてはならないのか。


「働く」⇒表現する


いつもどこかで思っていたのだろう。
表現者になりたいと。

こんな人になりたい。と、誰かに刺さる言葉を掛けたい!!
などと思っては、羞恥心が捨てきれず
せっかくのチャンスを逃したり、実はものすごく
良いものを生み出せたのにアウトプットの場所が迷子。

そんなときにnoteをみつけた。
ここまで自由に表現できる媒体はないので、(しかも収益化可能)
いまの私の現状に、ぴったりな場所だと悟った。

世間でいう、有益な情報を発信するわけでもないが
自身が良いと思ったものには、自分できちんと評価し、
その先の一歩へ進めていければと思う。

「自分の居場所はここなんだ」と胸を張って言える、
20代最後の旅路(心理)に出ようと思う。


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