見出し画像

リアル人命救助〜心肺停止から意識回復まで〜

今から数年前のとある地方都市のビッグレース。今までになく準備を積み重ねた自己ベストを狙う気満々のレースだった。

前日入り

友人宅に(親友のご実家)に宿泊させてもらいとてもおいしい地元の名産(すき焼き!!)をいただいた。もう至れり尽くせり、フッカフカのお布団。レースの遠征ってこういう楽しみがあるからいいんだよね。早くコロナが普通の風邪になりますように。

当日朝

僕はこの友人宅の裏山の登山道が大好きで、ウォーミングアップがてらその街を一望できる山頂まで走って登り走って降ってきた。これが意外に距離があり、往復5キロ程度。標高も300メートルほど。この判断がレースの結果を大きく変えたけど、見えた景色はプライスレス。

レーススタート

日本でも有数のビックレース。セレモニーはとても華やかだ。沿道の応援は今までのレースの比ではない。僕は3時間20分切りを目指し4分40秒で前半を走ろうと思っていたのだがあまりにテンションが上がりすぎて20キロ時点で4分20秒ペースをキープしてしまっていて、それを放置していた。

30キロ地点、ややペースダウン。それでも自己ベストは軽く超えられるペース。ただ、気温が18度、今までにない暑さにこの先のペースダウンの必然の予感が頭をかすめよぎる。

30キロ地点、案の定足がが急に重たくなる。1キロが遠い。典型的な失敗レースであることに気づく。前半飛ばしすぎたのと、いつもやらない山道ダッシュ、これが足に来ているのだ。さっきのおれ、あほ!!

40キロ地点、その時点で3時間20分を経過していた。ここから2.195キロを6分で走れるわけもなく自己ベスト更新の夢は絶望的。あーあーとか思いながらとぼとぼと走っていたその時、沿道右端で仰向けに倒れている人に馬乗りになっている医療ボランティアを発見した。

心肺停止状態

すぐに駆け寄り状況確認
・心肺停止状態で心臓マッサージ中
・救急要請済み
・1人はAEDを取りに行っている
自分ができること、気道確保、定期的な頚動脈触診と呼吸、意識の確認、こちらに戻ってくるように応援の声を声をひたすらかけ続ける。心臓マッサージを交代しようと思ったその時、3名のランナーが救助に加わってきてくれた。なんと、3人とも医師だという。こちらも看護師であることと状況を説明。1人の医師が人工呼吸用タブレットマスクをさっと取り出し(なんと意識の高いランナー!)人工呼吸を始めた。救助に参加してからどれくらい経ったかわからないがおそらく2分くらいの出来事だ。そこでAEDが到着。すぐに1人の医師がセッテイング。

1回目通電→心拍に反応なし。充電期間中心臓マッサージ再開

2回目通電→心拍再開、心臓マッサージ中止、呼吸確認、呼吸回復

そのまま様子を見る。心拍、呼吸ともに安定

そのタイミングで救急車到着。最初に救助に当たっていたスタッフを残しレースにそれぞれが戻った。

友人の父からの手紙

結局3時間45分でゴール。逆算すると救助に当たっていた時間はほんの5分程度だ。ちょっと返り血を浴びていて感染のリスクを考えると救助が下手くそってことになるんだけど、なんとなく自分にしかわからない誇らしさを感じながらガッツポーズでゴールした。

一緒に救助に当たった人達の名前も顔もわからない。当事者のランナーのこともわからない。おそらく、ゴール手前、予想以上の暑さ、3時間30分切りを目指して頑張って走っていたところなんらかのアクシデントで意識が飛んでそのままの勢い、ノーガードで顔から転倒。脱水気味で電解質バランスを失っていることもありショックを起こし心臓が停止したんだと思う(完全なる予測)。

その3日後、地元新聞でそのランナーが意識を回復して命に別条なく順調に退院に向かっていることを友人の父が記事の切り抜きと手紙を添えて送ってくれた。

「あれだけの人数が参加したレースで、彼だけが危険な状態に陥ったランナーだったそうです。助けてくれてありがとう。」

あの朝、あの裏山を登ってなければ、僕は彼といい勝負をしていたか少し先を走っていたかもしれない。あと少し彼が遅かったら、あの医者達も先を走っていたかもしれない。これは偶然のような必然、救われる命だったと心から思う。

あそこに一瞬集まり、一命を救う仕事を果たし散り散りにレースに戻った医療従事ランナーとのチームワークは一生忘れないだろう。そしてレース後人工呼吸用タブレットマスクを次のレースから携帯するようになったのはいうまでもない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?