![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/105631365/rectangle_large_type_2_6408e666d771fc2de36f79123027e738.jpeg?width=800)
【家族エッセイ】6歳だった母のたった一つの「父の記憶」
昭和21年生まれ、今年で77歳になった私の母は、苦労の多い人生のわりに朗らか、おっちょこちょいで周囲を和ませる天然さを持ち、頑張り屋で、いざ、という時には胆力のある人だ。
そんな母が5歳の時に母親を、6歳の時に父親を亡くし、養母に育てられたという生い立ちは、私も子どもの頃からなんとなく知ってはいた。
母親の死因は今となってははっきりわからないが病死で、長女である私の母を筆頭に幼い三姉妹がのこされ、心身共に疲弊していたであろう父親は、その一年後に心筋梗塞で急死したという。
たった1年で妻の後を追うように…。夫婦ともにどんな気持ちで旅立ったのかと思うと胸が痛むが、のこされた三姉妹はバラバラに引き取られ、彼女達にとってもそれぞれの苦難が始まった。
私の母は、父親の知り合いだったという女性に引き取られた。
養母はいわゆる「ホステスさん」が何人も働く飲み屋を営んでいて、6歳だった母は「娘」というより店の下働きとして引き取られた格好だった。
養母は独身で子どもがおらず、母いわく「愛情が希薄だったし、叱る時は『自分の手が痛いから』という理由から定規で私を叩くような人だった」。
それでも着るものと食べるものに困らないだけマシだった・・・という。
そういう時代だったのだろう。
中学を卒業すると、母は養母に「理容師か、洋裁の勉強をしたい」と頼んだが、「必要ない」と言われ、母の夢はあっさり途絶えた。
母は今も手先が器用だから、勉強すればものになっただろうと思う。
とにかく、楽しいこと、自由になることはほぼ一切ない子ども時代、青春時代だった。
そして母が20歳になった頃、のちに結婚する相手(私の父)と出会うのだが、養母が営む飲み屋に出入りしていた酒屋の若手社員であった父は、店の奥で静かに働く「寂しそうな目をした女の子」…が、いつも気になっていたそうだ。
父が養母の許しをもらい、そうして23歳で結婚したのち、ようやく母は「自分の家、自分の暮らし」というものを手に入れたという。
「・・・お母さん、よくグレなかったね」
その話を改めてはっきりと聞いた20代の私は、自分の青春時代とのあまりの違いに思わずそう言った。
それでも母は、「毎日が必死で、深くものごとを考える余裕もなかったんじゃないかな」と人ごとのように答える。
「それにね」と母。
「お父さんが亡くなった時、私は6歳だったからギリギリ記憶があるんだよね。お母さんのことは覚えてないんだけど。お父さん、背広の仕立て職人だったんだよ。
亡くなった後も『腕が良くて、まじめな人だった』って周りからよく言われてさ。
おしゃれな人でね、帽子をかぶって、手をつないで一緒に映画館に行ったの。そして、帰りに一緒にお蕎麦を食べたんだよ。おいしかったな。
私はね、愛されていたの。でも妹達は、もっと小さかったから記憶がないかもしれないね。・・・可哀想だと思ってる」
ああ、そうなんだ。私は胸がいっぱいになった。
「私は愛されていたんだよ…」
たったひとつの確信だけで、母はまっすぐに生きていくことができたのだ。
飲み屋の下働きがどんなに辛くても、学びたいことが叶わなくても、不幸な境遇であっても不幸な人間にはならなかった。
店で働く「ホステスさん」達に対して、職業自体を悪く思うつもりはなかったが、だらしない恰好や汚い言葉遣いを見聞きするたびに、「私はああはならない」と思っていたのは、「父親に愛されていたほうの自分が〝本体〟」だとわかっていたからなのだろう。
自己肯定感というもの。
母の時代にはまだそんな言葉、概念はなく、その娘である私の時代になって浸透したが、母には確かに自己肯定感があった。
この話を初めて聞いてからさらに時間が経過し、私は自分が子どもを産み、母親になった時、改めて母に尋ねてみたことがある。
「ねぇお母さん。お母さんは結婚して、2人の娘を産んで、何を考えて生きてきたの?」
結婚・出産を経てただ幸せになったわけではない。それからだっていろいろあっただろう。私が知っている限りでも、それなりに悲しみや苦労はあった。
「そうだねぇ…。どんな風に生きてきたかは人に話したことがあるけど、何を考えて生きてきたの? と聞かれたのは初めてかもしれないね。なんか嬉しいわ。お母さんはね、子どもを産んで、自分の手で育てて、幸せだったよ。だって、本当の自分の家族なんだから」
「ああ…」
「それとね、あなたが赤ちゃん産んで、抱っこしてるのを見てると、『赤ちゃん、いいね~。自分のお母さん、いいね~』って思うよ。だから、ずっとあなたが育ててあげてね」
会ったことのない、天国のおじいちゃんとおばあちゃん。
あなた達が6歳でおいていってしまった長女は、77歳の立派なおばあちゃんになりました。安心してくださいね。もう少し、こちらで朗らかに過ごしてもらいます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?