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「親孝行な赤ちゃんね」にモヤってた

息子が生まれて3ヶ月。新しい生活にようやく慣れてきた。

産後すぐは、抱っこの仕方も間違っている気がして不安だった。ギャン泣きしていたら、どこか具合が悪いんじゃないか?と気が気じゃなかった。オムツを変えるのも、慣れずにひと苦労。当たり前のように出ると思っていた母乳が出なくて、ショックで申し訳なくて打ちひしがれた。会陰切開の傷の痛みに耐えながら眠い目をこすって、出ない母乳を飲んでもらうために大泣きする息子の頭をわしっと掴んで胸に押しつける、夜中の頻回授乳。

最初の2ヶ月ぐらいは結構きつかった。

とはいえ息子は新生児の頃も、連続して2〜3時間は寝ていた。
自分としてはそれでもだいぶしんどかったのだけれど、赤ちゃんによっては30分おきに泣く子もいるそうで。
2〜3時間「も」寝るなら、「親孝行」とのこと。

そう、なんの悪意もなく「よく寝てくれて親孝行な赤ちゃんね」「旦那さんも夜中起きてくれるなんて、恵まれてるわね」等々、言われることがあった。

「そうですね〜」と笑顔で返していたが、正直、内心モヤっていた。褒め言葉?で言ってくれているのかもしれないが、真っ直ぐに受け取れない。

このときの漠としたモヤモヤ。当時は余裕がなくこの気持ちを放置していたけれど、少し余裕が出てきたので掬い上げて観察してみることにした。

ほどなく合点がいった。「親孝行な赤ちゃんね」も「いい旦那さんね」も、「私」が置き去りにされているし、「恵まれた環境に感謝しろ」って圧をかけられているように感じていたのだ。

きっと当時私は心身とも疲れていて普段以上に承認欲求が昂っていた。
「当たり前のことを当たり前にできるよう努力しているだけではあるけど、こんなに必死な私を誰か認めてくれ労ってくれ」
そんなことを心のどこかで切実に思っていたのに、それどころか、
優しげな言葉のオブラートで包まれた中身から「私やあの人はもっともっと大変だったのよ。感謝しなさい」と説教されている気がして、満たされない承認欲求がヘソを曲げていたのだと思う。

いま思えば、私の受け取り方・感じ方に問題があったのかもしれない(笑)
けれど、私はあのときの気持ちをなかったことにはしないでおく。

「がんばるしかない。みーんな乗り越えてるんだから」って、グッとしんどさを堪えているかもしれないよなぁ、平気そうな人も。

私は安易に「その人の周囲」を褒めたりしないようにしよう。まずその人の事情を想像するようにしたい。
ぶっちゃけしんどいなぁ、と感じている人には、自分にムチを打たずに、これでもかってぐらい自分を褒めちぎってほしい。

記憶の水深10メートルぐらいから掬い上げたモヤモヤは、そんなことを私に考えさせた。

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