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保育園に行くのかい?行かないのかい?どっちなんだい!

渡る世間は選択ばかり。

迷いの渦中にいると、重力が倍々ゲームに感じる。私はドラゴンボールの悟空を目指してはいないのだけれど。

ネットニュースにもならない、普通の人たちのありふれた迷いとか悩み。そういうのが、無数に飛び交う電波みたいに絡み合って、何かが生まれたり何かが繋がったりしている。

息子は可愛い。視認できないレベルで毎秒成長している。いま私が見ている息子はどんどん過去になる。見逃したくない。

それに、いますぐ働かなきゃ生活が成り立たないわけじゃない。来春からフルで働くとしたら、それは私の希望で、私のエゴかもしれない。でも、「この子のために、そばにいる」とかいうのも、親のエゴだ。

何をうだうだ言っている?何を選んでも“親のエゴ”になるのは当然で避けようがなくて、別に悲観することじゃない。理屈をこねてばかりなのは「エゴのないイイ人間、イイ親」に執着しているようで、それも少しいびつな気がする。

働くのは割と好きだと思う。けれど、「向こう数年、労働をセーブする」選択をした場合。好きなことが制限されるという以上に、漠然とした不安がある。

その後、自分の思うように働いていけるのか。いま駆け出しのライター、駆け出しのキャリアコンサルタントとして走り出しているのに、それらが全てフェードアウトされてしまうのではないか。


結局、そのとき納得しながら選んでいくしかないんだろう。
一回選んだら、なるべくそれを正解にしていくように善処する。「後悔」も、ただそういう感情を選択しているに過ぎないんだろう。そのとき「後悔」という感情を選択しなければいいだけ、なんだろう。


文は人なり。思うままに言葉を並べていると、自分の湿っぽい一面が浮き彫りにされて、command + A  + 「×」で画面を白くしたくなる。


なかやまきんに君も、笑いのプロから筋肉のプロに比重を移していく過程で、迷いとか不安とか葛藤ってやっぱりあったのかな。“正解”にして、見る人を楽しい気持ちにさせて。画面上のきんに君は、きんに君のほんの一部なんだろう。


この8月の、干したての布団みたいな思考回路を持ちたいぞ。
ぜんぶをなぎ倒すパワーがほしいぞ。
行くのかい?行かないのかい?
どっちなんだい!
パワー!


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