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Chapter:41

原動力というエンジン

ここ1ヵ月、モヤモヤしていたことを書き連ねていましたが、

何故こういう感情になっていたかをグルグル考えて、それでもモヤモヤしていました。
そのうち分かる時が来るかな、と気分を変えようとし、全然関係ない話を誰かとしたいというのが出てきて、今誰と話したいんだろう?と自分に問うたらば、「同じ年代の人」だった。
そこですぐ浮かんだのが、前に鑑定してもらった「あっこちゃん」。

同い年という共通項で話をしようと連絡したらば、あっこちゃんは私のことを気になっていたらしく、でも自分から言ってくるだろうと待っていたとのこと。

それで序盤から、話してるうちにモヤモヤの正体が口をついて出てきて・・・。
つい最近私の前に現れたとある人の言葉がスイッチとなっていた。
よくよく思い出してみると、そこから感情がおかしくなってて、それに付随する過去の悔しい思い、傷付いたことが溢れ出てきていた。

で、その事象はもう過去のことだし、どうしようもないと思ってるのだけど、ストップを掛けていたのはそこではなく、

「悔しさが原動力って作家としては哀しいことだと思ってる」

という自分の言葉が原因だった。

元々スマートにいかない性質だし、偉業を成した多くのアーティスト達だって原動力は悔しさが大半を占めていただろうし、その想いが作品にエネルギーとなって乗っかっていたのだろう。
それを私は「恥ずべきこと」と思ってしまっていた。
モノを作る人として、苦しんで生み出すことがもうイヤになって、楽に作りたい、なんて逃げようとしていた。
勿論楽しく作ることは大前提なのだけど、これを作りたい!って制作に入るまでの「エンジン(原動力)」、それこそが私の強みでもあったのに。


実際、先日アップしていたこのインスタ。
この写真編集は、「悔しさ」の感情が一杯の中で作品として出したもので、いいねが普段の倍以上もついた。
自分でこの力を持っていることを知っていたのに。

そんな感じで、全然関係ない話をする筈がそのままあっこちゃんからの鑑定の時間へと移行していった。

基本的に私は口にすること、行動等、予め分かっていて、無意識にやっていたりする。
後から振り返って「あー!それ自分で言ってたわー!」ってなる。
たえこママにも、晴子さんにも、それこそあっこちゃんという過去にみてもらった人達に散々言われていたことであって。

重要な課題は繰り返し、しつこく、性懲りもなくやってくる・・・。

そんな私に付き合ってくれたあっこちゃんには感謝しかない。


因みに、この話にはまだ続きがあって、というかあっこちゃんが齎したタイミングという事象がありましたので、それはまた次回書こうと思ってます。





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