幸せになれという強迫
何をしていても、気分が持ち上がりません。
ただ、唯一気をそらすことができる行動が、スケートをしている時と、こうして文章をかいている時だけです。
上げることはできなくとも、下がることはないだけ、まだマシだと思って。
なんていうか、ギリギリの生き方をしています。
強迫的に感謝している
生活保護を受けることができているわけですから、不幸な人間の中では幸せな方だと思っています。
病院へ行けて、薬をもらえて、訪問看護さんに来てもらえて、ヘルパーさんに家事を手伝ってもらえて、相談員、保健師、ケアマネージャー、生活保護のケースワーカー、たくさんの人たちの支援を受けることができていて。
弟たちと仲良しで、母ともあれやこれやはありつつ、不仲というわけでもなく。離婚したとはいえ、父とも一応繋がりは持っていて。
大親友がいて、恋人がいて。
たくさんの人たちに支えられて、私は生きています。
たくさんの人たちに支えられなければ、私は生きることができません。
私は素直に、感謝しています。
ありがとうございます。とても助かります。
でも、必要以上に、感謝しなければいけないんだと、自分に対して思い込ませている節があります。
そして、助けられている以上、感謝を感じている以上、私は別にかけられているわけでもない期待に応えなければという、これまた勝手な思い込みで、幸せにならなければ、働けるようにならなければ、迷惑をかけない私にならなければ、と。
私は私を、強迫しています。
私は幸せだと。私は恵まれていると。
私は贅沢をしたがりだと。私はわがままなのだと。
私の不幸は全て私のせいだと。
お金のことばかり考えている
あれが欲しい、これが欲しい。
あれがしたい、これがしたい。
私は興味が散りがちな人間な上、偏ったこだわりのある人間なので、何かをしようとするたびにお金がかかります。
化粧も、スケートも、お絵かきも、バレエも。
最近は裁縫がしたくて、ミシンが欲しいなと思っています。
去年の夏にiPadの画面を割ってしまったので、それを修理したいなと思っています。
身の丈に合わない生活をしたがりです。
愚かですね。
仕事ができないくせに。
そんな、贅沢な生活をできるような生き方をしていないくせに。
願望ばかりが育って、満たされずに壊れていく。
自分から自分を壊していく。
もう少しお金があったら、働くことができたら。
私はスケートレッスンを増やせるかもしれない。対面のバレエ教室に通えたかもしれない。欲しいレオタードや、スポーツウェアを買えたかもしれない。
欲しい画材を買えたかもしれない。絵画の参考書を買えたかもしれない。絵画教室に通えたかもしれない。
欲しいミシンが買えたかもしれない。iPadを治せたかもしれない。
欲しいリップが買えたかもしれない。色々な化粧品を試せたかもしれない。
コスプレをしてたかもしれない。色々なイベントへ行けたかもしれない。
大学へ通えたかもしれない。
専門学校へ通えたかもしれない。
資格を取得できたかもしれない。
かもしれないは、どうしたってかもしれないで。
要するに、可能性としてはゼロということで。
ある程度の幸せには、ある程度の金が必要で。
まあ、そこのところを、私は別のもので埋め合わせて、つまりは自分に嘘をついて、生きている。
だから、我慢ができず壊れる。
働きたいといいながら、働ける自分からどんどん遠ざかっていく。
馬鹿みたいというか、馬鹿そのものだ。
願い続ければ必ずいつか夢は叶う
今の状況で、今持ち得る全てで、私は十分に幸せなのだと。
そう思い込ませるというわけではなく、まあ実際的には思い込ませることになるのかもしれないけれど。
私は幸せだよと、思えたらいいのに。
いや、思えばいいんだよ。
願い続ければ必ずいつか夢は叶う、とかなんとか。
願い続けて壊れるのなら、夢は夢でも悪夢だったのだろう。
夢は理想で、悪夢は現実。
夢は叶ったらその程度のものかって、価値がぐっと下がるのは、そういうことなんだろうな、とか。
一生不幸に肩まで浸かって、幸せを追っかけて不幸せに生きている方が、いっそ幸せなのかもしれないな。
私には、幸せになる資格もなければ、幸せになる度量もない。
よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。