くさってもベンツーその1 念力に頼った話
ベンツリコールのニュースを聞いて思い出したことがある。一般庶民のわが家が高級車に手を出すことなどまず無いのだが、米国滞在中にいわくつき中古ベンツを破格値で入手してしまった。安物でも本物ベンツ。一生に一度くらいは乗ってみたいというミーハー根性を抑えきれず、「くさっても鯛」ならぬ「くさってもベンツ」を合言葉に即決したのだった。
譲ってくださったのは駐在を終えて帰国間際の日本人ご家族。見るからに誠実そうな方で、12万円でよいとおっしゃる。「街中を走るのは全く問題ありません。でもスピードは出ないので高速や遠出は避けた方がいいです」と。スピードが出ない理由はディーゼル車ならではのトラブルという以外よくわからなかったが、一生に一度のチャンスを目の前にして、すでに冷静さを失っていた。1年限りの滞在予定だったし、車を使うのは保育園の送迎と買い物程度のことなので、おそらく大丈夫だろうと考えた。
たしかに当初、街中を走る分には何も問題なかった。でも、ほどなくして最初の不調が窓に生じた。走行中に開けた窓が、帰って閉めようと思っても閉まらないのだ。晴れの日だったし、この車が盗まれるとはとても思えなかったので、サイドの窓上部が少し開いたまま路駐して自宅に戻った。
私たちの住まいはアパートの2階だったのだが、まもなく3階に住む香港人のお兄さんがドアベルを鳴らした。親切にも「窓を閉め忘れているよ」と教えてくれたのだ。お兄さんは本物の高級車に乗っているので、まさか閉まらないサイドウィンドウがあるなんて想像もできなかったのだろう。私たちは苦笑しつつ「教えてくれてありがとう」と答えた。しかし、ご近所さんは揃いも揃って皆親切で、その後も教えてくれる人が後を絶たず、即、修理店に送り込むことになった。
窓が閉まるようになって喜んだのも束の間、2度目の不調が出先で起こった。街外れのひとけのない場所からの帰りに、エンジンがかからなくなったのだ。ディーゼル車のエンストは、ガソリン車のエンストと異なり全くの無反応。日暮れどきに、こんなところに取り残されてはたまったものではない。「ダメだ、かからない」と諦めた夫に代わり、私はこうなったら念力に頼るしかないと覚悟をきめた。(ちなみにスプーン曲げはうまくいった試しがない。)
「おねがい、どうかかかって!」そう心の底から念じてキーを回したところ、なんとベンツは始動したのだった。さすが、くさってもベンツ。しかし同じ奇跡は二度と起きなかった。その後もわれらがベンツは幾度となくエンストを繰り返すことになる。
そもそも今どきエンストする車が存在することに驚くばかりだった。車校では踏切でエンストしたらどうするかを教わったけれど、想像してみてほしい。用事があって出かけようとするとエンジンがかからない。どこかに出かけて家に帰ろうとするとエンジンがかからない。エンストなんて踏切じゃなくても途方に暮れる。とにかくこれだけは修理してもらわないことには始まらない。
ディーゼルエンジンの不調は噴射ポンプに煤が詰まるかららしく、その都度、修理店まで牽引してもらってはポンプ掃除をしてもらっていたのだけれど、結局、噴射ポンプ自体を新しく交換するしかないということになった。この修理費だけで数十万円。滞在先での痛い出費なのに、エンストのストレスから解放された喜びのほうが大きくて、もうどうでもよくなっていた。エンジンがかかる車って、なんて素敵なんだろう! このあたりまえにひたすら感動していた。【次回、バンパー落下事件につづく】