比べてみれば
ヘッダーは最近のみみっちいずガーデンからの1枚です。下段はすべて小松菜で、時間の経過とともに右端から順に左端へと成長していきます。芯の中央に養分を送るために外側の茎はみずから朽ちていくので、次第に容器内がスカスカになる代わりに葉が茂ってきます。
下の画像は上段右端のミニキャベツを拡大したところです。しっかり葉を巻いて小さいキャベツができています。他のキャベツは根が出たので土に植え替え済みなのですが、これだけは根を張らないので水栽培を続けてきました。
次の画像も同じくキャベツ芯からの再生です。根が出てから土に植え替えました。葉がこんもりしていて愛らしいので、観賞用に室内で栽培しています。
試しに、このふたつのキャベツを並べてみました。
すると、今まで気にならなかったことが気になり始めました。
前は芯からよくぞここまで育ってくれたと満足していたのに、比べてしまったばっかりに、しばらくモヤモヤが止まりませんでした。
思えば生まれてこの方、私たちは他者との比較の中で生きてきました。体重に始まり、ミルクの飲みっぷりから発育の程度、知能、学力、体力、気力、協調性、社会性… すべてについてあるべき標準が定められ、それに劣ると標準に近づけることを求められました。
同じように芯から育ったキャベツでさえもこれだけ違いが生じるのですから、ましてや異なる環境で育った人間では差異が生じるのは当然です。それを比べてみる意義は何でしょうか。
小松菜のように自身の成長をBEFORE&AFTERで比べてみるのはよいとしても、この小松菜とあの小松菜を比べて競わせる意味はあるでしょうか。
もっとも、こんなモヤモヤを「気づき」として前向きにとらえるのもありかと思います。でも、比べなければ、どんな世界が広がっていたのか、今更ながら気になるのでした。