見出し画像

日米保育比較ーその4 シェアの本質

長男が通った米保育園の2歳児クラスは、自分の好きなおもちゃをひとつだけ家から持ってきてよいことになっていた。息子はその日の気分でぬいぐるみを取っかえ引っかえ持参していた。登園後に大人でなければ手が届かない個人ロッカーに入れて保管してもらうのだが、たまたまそのタイミングで息子のカメの腕人形が他の子の目に留まった。

絵本キャラクターのカメを見つけたその子は "FRANKLIN!" と叫ぶと、自分にも貸してほしいとしきりにねだり始めた。しかし、息子はイヤだという。

当時、Barneyという紫色の恐竜が出てくる教育番組が大ブレイク中で、いくつかのキーワードを主軸に番組構成されていた。その主なキーワードの一つが  "PLEASE" "THANK YOU" と並んで "SHARE" だった。

「ざわざわ森のガンコちゃん」を実写版ミュージカルにした感じにやや近いかも!?  日本のEテレにあたるPBSのBarneyシリーズより、SHAREについて学ぶビデオの一例🔽

この番組の影響もあって、おそらくここは息子がシェアするべき場面だろうと私は思ったのだが、先生の答えはちがっていた。

先生: これは○○(息子の名前)のもの。
    あなたには誰にもシェアしたくない大切なものがある?
園児: うん
先生: そうでしょう?
    誰にだって自分だけのものにしたい大切なものってあるよね。
    これは○○の大切なもの。

このやりとりにより、半泣きだったその子はあっさりと気持ちを切り替え、以後、フランクリンを貸してほしいとねだることはなくなった。おかげで、息子も安心して自分の宝物といっしょに登園し続けることができた。

この出来事に私は少なからずショックを受けた。日本でこの状況なら「貸したくないものは持ってこないように」あるいは「貸してあげなさい」のどちらかではないだろうか。振り返って、これまでいかに自分よりも他者を優先するように教育されてきたかと思う。なにかを共有すること、人と分かち合うことは確かに大切だ。だがその一方で、個人の思いや権利は尊重されてよいし、本来そうあるべきなのだろう。その個人が幼い子どもであったとしても。

持参したキティちゃんが落ちないようにドアガラスと自分の間に挟んで手を振る長男
ようやく泣かないで保育園から母を見送れるようになった瞬間を慌ててカメラに収めた朝の1枚


最終回につづく】