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私がセレッソ大阪を応援する理由

noteで夫婦とか子供のことしか書いてこなかったのですが、はじめてサッカーについて書いてみることにしました。大きな理由はないのですが、自分でも少し思い起こしてみたくなった・・・というのがざっくりとした理由です。興味がございましたらどうぞお付き合いください。

テニスに明け暮れた日々

サッカーの話をすると言いながらテニスとはどういうことか?というお叱りもごもっとも。ですが、私は小学校から大学までテニスをしていて、中学校では大阪でシングルス準優勝の成績も(そこをピークにその後鳴かず飛ばずだったことは秘密です)あったりと、そこそこがっつりと取り組んでおりました。

サッカーといえば体育の授業とか休憩で携わる程度のもので、果たしていつから興味を持ち始めたのか?と思い起こすと、記憶が断片的であまり定かではありません。が、少しずつ断片を集めていくと、何か見えてくるかもしれません。

サッカーを見るようになったきっかけ

Jリーグ開幕は1993年。当時たしか小学校6年生だったは頃の私には何のことかまったく理解できてなかったと記憶しています。クラスのお金持ちの子が何人か、Jリーグを見に行った!と自慢していたのは覚えています。

Jリーグはよくわからないけどカズダンスは知ってたし、カレーといえばラモス・・・。CMでヴェルディの選手をよくみるようにはなりました。

私の記憶の中で、はっきりと「サッカーを見た」と記憶しているのはドーハの悲劇。父親は野球好きで、母親は仕事でテニス漬けで、サッカーがブームになっていたとはいえそれほど興味をもつ理由もなかった日本代表の試合を見ていたのか今でも不思議でならないのですが、リビングで家族で見てて、みんなで落胆したことははっきりと覚えています。これが自分にとって、サッカーをみるようになったきっかけ・・・・かもしれません。

体育の授業ではサッカーの時間が一番楽しかったのを覚えてますが、それはたぶん単に鉄棒とか器械体操とかより球技が楽しかったという類のもの以上では無かったように記憶しています。

フランスワールドカップ最終予選の頃

1997年にスタートしたフランスワールドカップのアジア予選。当時は高校一年生。Jリーグには何の興味もなくテニスばかりしていた日々ですが、代表戦はこのころからしっかりと見るようになりました。

何かの試合で城選手がゴールを決めて、「城かっこいいなー」なんて思っていたら、「いや、あのゴールは中田がすごい。中田のパスがすべてだった」なんて話を誰かから聞かされて、「中田?誰?」くらいの点を決めた人しかしらないミーハー丸出しだったのは間違いありませんが。

高校生のときはテニス部の仲間に元サッカー部の友達がいて、サッカーの話題になることも多く、自分が興味を深めるきっかけになったのかなとも思います。それと、サッカーゲーム(ウイニングイレブン)が好きで、Jリーグは見ないけど広島が強くて盧廷潤って選手がめちゃくちゃ点を取るくらいの知識があったことは覚えています。彼が、Jリーグ初期のヴェルディの有名選手以外で初めて知ったJリーグ選手だったかな。

盧廷潤選手はその後セレッソにも在籍したそうですが、これはわりと最近になって知ったのですが、「おぉぉ!」という軽い衝撃がありました。

さて、ワールドカップ予選に戻りますがジョホールバルの歓喜はテレビでしっかりと見ていました。たぶん家族と見ていたと思いますが、わりと大喜びしていたのでこの頃にはサッカーを見ることに一定の興味と面白さをもっていたことは間違いありません。

本大会の頃にはさらに興味は深まっていて、代表戦のほかにセリエAの中田英寿の試合を見たりと、そこそこマニアックにもなっていた気がします。

ワールドユース選手権1999→ワールドカップ2002

私の中でサッカーに深く興味を持った記憶として一番はっきりとしているのがこのワールドユース選手権1999。稲本潤一、小笠原満男、 高原直泰、そして遠藤保仁といった黄金世代と言われる世代が活躍し、世界の舞台で準優勝した大会。この試合はたぶん深夜にやっていたはずですが、それをリアルタイムで見ていたくらい、このころから代表戦はどんな時間であっても欠かさず見るというスタイルが確立していました。(これは結婚して子供ができるまで続いてました)

ただ、その頃でもまだまだJリーグへの興味はありませんでした。記憶の中でJリーグに興味を持った一番古いのが、2000年の1stシーズンでセレッソ大阪が優勝争いをしてた頃に、大学へ通う途中の和泉府中駅でセレッソ大阪のユニフォームを見たことでした。サッカーのユニフォームを着て電車に乗る人なんてことは私が住む泉州ではほとんど見なかったのですが、優勝争いの大事な試合だったためか駅にたくさんのサポーターがいたのを覚えています。「なんか優勝争いしてるらしいよー」とサッカー部に聞かされて、その状況を知ったのでした。

そのあと2002年は誰しも記憶に深い日韓ワールドカップ。大学でパブリックビューイングを開いてくれて、部活の仲間と大盛り上がりで見ていたのを覚えています。このころには代表戦だけでなくスーパーサッカーとかやべっちFCとかのサッカー番組は欠かさず見ていたし、代表に出るような選手もだいたい把握し、Jリーグもそれなりに見ていたはずなのになぜかこの頃の記憶にJリーグは一切でてこなくて。自分でも不思議でなりません。

セレッソ大阪へのインターンシップ

通っている大学が体育大学で、スポーツマネジメント学科にいたのでこのころから漠然とスポーツに関わって仕事がしたいなと考えはじめ、3回生から進んだゼミではスポーツ経営学を学ぶようになりました。そして、4回生のときにインターンシップでセレッソ大阪のフロントのお仕事に携わらせて頂く機会があって、ここから自分の記憶の中に「Jリーグ」が埋め込まれてゆきます。

インターンシップではフロントのお手伝いが主だったので、試合を見る機会は一切なかった(と記憶)と思いますが、サッカーのお仕事の色々な部分に関わらせて頂いて、そこからゼミの関連でイルハンや三浦知良選手加入で大盛り上がりのヴィッセル神戸の試合をピッチ間近で見る機会があったりと、「サッカースタジアムってめっちゃ面白い!」と感じるようになりました。

大学の間もプライベートで何度かセレッソ大阪の試合を見に行き、そこから社会人になっても年に1、2回くらいはスタジアムに足を運ぶように。記憶にあるのは2005年の優勝を逃した試合とか、2006年の大雨の中のヤンマーフィールド長居(当時の名称は長い第二陸上競技場やったかな?)での降格が決まった試合とか、盛り上がりそうな試合に足を運ぶようになったのでした。変わり種だと2007年のJ2、三木総合防災公園での試合。たしか世界陸上で長居が使えず、それにしてもなぜ三木で?と思いましたが、このときたまたま隣の某学校にいた自分には最高に嬉しく、観戦に行ったのを覚えています。

そうそう、スポーツ経営学を学んだものの、仕事はスポーツとは無縁のものとなりました。いまでもそうですが当時スポーツチームのフロントは親会社の出向がほとんど(と聞いていたと記憶しています)で、いま以上に狭き門でもありましたので。いや、そこまで覚悟がなかっただけかもしれません。

乾貴士の加入

人よりは多少Jリーグを見るようになったとはいえ、それでも年に1,2回。趣味というにはまだちょっと遠い感じだったのですが、これが年に何度も足を運ぶようになったのはおそらく2008年。その前の年に香川真司がその才能を開花し始めていたと思うのですが、自分の中では乾貴士の加入が一番のきっかけだったと思います。

代表戦を欠かさずチェックするミーハーぶりで、野洲高でインターハイを制したセクシーフットボールの申し子、U19とかで大活躍していた乾貴士が横浜で出場機会なく、セレッソにやってきたというのはミーハーにはたまらないニュースだったのです。

さらに、ワーキングホリデーで海外に行っていた高校時代の親友が帰国し、一緒にサッカーを見にいってくれるようになって、きっかけが重なったことでスタジアムに足を運ぶ機会が増えました。

そこで繰り広げられたのはその乾貴士と香川真司、そしてトップのカイオの1トップ2シャドーが繰り広げるなんともスペクタクルなサッカー。3点とられても5点取るみたいなサッカーが面白くて、サッカーをスタジアムで見ることが週末の日常に変わっていきました。

ちょうどその頃から加入していたスカパーでも平畠さんや現札幌社長の野々村さんが香川・乾コンビを「つばさ君とみさき君」なんて言って盛り上げてくれて、「セレッソおもろい!」って、自分の中でどんどん加速度的に興味が深まっていきました。

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セレッソ大阪がある日常

そこから12年。2020年になっても変わらずセレッソ大阪を応援しています。その間J1に上がって、優勝争いして、そしたらまたJ2に落ちて、また上がって。このシーソー状態の頃、私はというと前職を体調を壊して退職して、1年半くらい無職に近い状態の日もあって、リハビリしながらそれでもサッカー観戦には訪れていました。勝っても負けても、スタジアムの非日常感が気持ちを和らげたり高揚させてくれたり、紆余曲折のセレッソの成績が自分の人生に重なるようでなんとなく身近に思えたりもしました。

長居の雰囲気ってなんか良くて、私みたいな静かに盛り上がりたい人(アンセム歌ったり、タオルマフラー振ったりはするけど、ゴール裏のようにずっと応援するよりはじっくり見たい人)にも応援する場所があって観戦しやすくて、サポーターは選手に暖かくて(ヌルいって意見もあるけど私はあの空気感が好きです)。だからずっといられる場所、また行きたくなる場所なんじゃないかなって。

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2017年に産まれた長男に、「桜」の文字を入れて名付けました。セレッソのように人生は紆余曲折やけど、楽しいときもあるよと、そんな願いを少し込めて。10月生まれなのでコスモスになっちゃいそうですが、10月に産まれたあとセレッソは1敗もすることなく11月にルヴァンカップで初タイトル。そして正月に天皇杯優勝。この子の力か!?そんなわけはないけどそう思いたくなるくらい記憶に残る長男誕生年に。

それから3年弱、ロティーナ監督が就任して2年目の今年は、自分が好きになったセレッソのサッカーとは全く異なったサッカーだけど、あの頃と違って玄人っぽくなった自分にはいままさにワクワクするサッカーで、チームとしても成熟した強いチームになったことを嬉しく思います。

そんなセレッソのある日常。しかし今年はまだ一日も観戦できていません。コロナ禍で失われつつあるこの日常が、早く元に戻ってほしい、妻と息子と一緒にまた見に行きたいなと思うわけでございます。

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最後に

「私がセレッソ大阪を応援する理由」などと大層なタイトルをつけてしまいましたが、自分がサッカーに興味を持ったりスタジアムに行くようになったきっかけなどをただ書き連ねただけの駄文となってしまいました。何かを伝えたいわけでもない、まさに「誰が興味あるねん」そのものな文章で、ここまで読んでくださった方がいたとしたら感謝しかございません。本当にありがとうとざいます。

こうして自分の過去をサッカー軸に振り返ってみたことなどなかったので私の中ではなかなか面白くて。たぶん記憶がすり替わってるところとかもあると思うのですが、今でも不思議ななぜサッカーに興味のない我が家がドーハの悲劇を見ていたのか?といったことなどは今度実家に帰ったら父親に聞いてみたいなと思います。絶対に覚えていないと思いますが・・・

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