見出し画像

「任期後はどうするの?」という質問への、暫定的な解のはなし。

地域おこし協力隊の仕事は、任期が3年と決まっている。
1年目、2年目、そして3年目ともなれば、「任期後はどうするの?」といろんな人に聞かれる。わたしはあと4ヶ月後に3年目を迎えるが、これまでずっとその質問に対して「まだ決めてないんですよね~笑」と、当たり障りないことを言ってきた。

ちなみに、この言葉は決して嘘ではない。
たとえば、パートナーができて、退任後すぐに結婚するともなれば、相手によっては住む場所も変わるだろうし、やり残したことがあって、任期後すぐにでもそれに着手したいと思えばなんとかしてこの町に残れるだけの収入源や生活拠点を確保するだろう。その気になれば、あとはなんとかするが、確定しているものはまだ何もない。故の「まだ決めていない」である。
といいつつ、ちょっとずるいお返事だよなあと自分でも思ったりする。

とはいえ、現時点で一番有力で暫定的な解はあったりする。最もわくわくする選択肢であり、絶好のタイミングだと感じていて、自分の可能性を広げてくれると信じているのは、「世界一周の旅にでること」である。

任期後に定住することが地域おこし協力隊制度に期待されていることのひとつであるということも十分理解しているが故、どこか"罪悪感"や、町を離れるという選択をしたときに町の人はどう思うか、といった"恐怖心"がないことはない。だからこそ、町外で暮らす親しい人には実は結構前からぽろっと口にしてはいたのだが、こんな風に文章に残すことはあえてしてこなかった。

昔から、英語が話せない(上手に話せなくともジェスチャーなどでコミュニケーションがとれればまだいいのだが、それも恥じらいが生じてうまくできない自覚がある)ということが、強いコンプレックスだった。学歴だけは無駄に高いことが、さらなるプレッシャーとなり、コンプレックスに拍車をかけた。

外国人の方がいても「Hello」「Thank you」といった簡単な英語と、あとは笑顔でごまかすばかり。ゲストハウスなどに泊まっても、言語も言語外のコミュニケーションも自信がなさ過ぎて、外国人の方を避けてしまうことも。

それが自分の可能性を狭めている気がするという実感。そしてこの狭まりによって生じる自らの可能性の差は、年を重ねれば重ねるほど大きなものへと膨らんでいくであろうという直感

そして、これはもう「意志による努力」ではどうにもならないほど根深いコンプレックスになっているということも、ひしひしと感じていた。

よく、人生を変えたいなら「時間配分」「住む場所」「付き合う人」を変えろと言うが、「意志」で自分を変えることは本当に難しい。だったら3要素全部変えざるを得ない環境にとりあえず飛び込んでみる、いう劇薬に頼ってやろうじゃないかという魂胆だ。

書いている中でふと思ったのは、わたしがいかに現状コミュニケーションにおいて非常に「言語優位」な人間なのかということ。

言葉に温度感や絶妙なニュアンスを自分なりにのせてコミュニケーションをとる。それこそが自分らしさだとも思うほどに。ところが、そこに頼りすぎると日本語から離れた瞬間、一気にコミュニケーションがとれなくなる。何も表現できなくなり、何も発せなくなる。それが猛烈に悔しい。
本当は国を越えて、もっとフラットにコミュニケーションをとりたいし、完全に理解できなくとも、伝えられなくとも、そんな伝わらなさも含めて真っ向から楽しみたいのだ。

日本を出て、言語という表現方法に一気に制限がかかったとき、わたしはどのように自分を表現し、自分らしさを保とうとするのだろう

そして、これは語学の壁だけでなく、日本人同士でもいえる。「対話」で解決できる人、したい人もいれば、そうでない人もいる。私は「対話」や「文章」といった言語的解決につい頼りがちだが、他者と価値を共創するうえで言語的解決だけではどうにもならないことがあるのだと、気づきつつあるのだと思う。

もしかすると、わたしの世界一周の旅のテーマは、「言語に限らず自分に合ったコミュニケーションのあり方を増やす」「上手に話せなくても、わかりあえなくとも大丈夫になる」といったようなものかもしれない。とはいえ、結局自分の感情や思いを人と共有し、それに対して何かしらの反応が返ってくることへの喜びが強い人間故、言語もある程度は学んでいきたいとは思っているが。

よくもわるくも、環境に反応し、相対的な振る舞いをする人間が故、いろんな国々の「当たり前」に身を置くなかで、自分のどんな要素や顔が引き出されるのかにも興味がある。旅に出るまでに、文化人類学をもう少し学んでみたいところだ。

ちなみに、以前父に「世界一周しようかなと思っているんだよね~」と、ぽろっと話したところ、すぐさまexcelにまとめた父の世界一周旅行計画がLINEで送られてきた。
普段は過保護なくせに、こういうところはやはり親子である。
父が元気なうちに、現地合流して世界を旅をするなんて最高ではないか。
アメリカを一緒にドライブするなんていいなあ等と妄想している。

そんなこんなで、自分なりの任期後の暫定的な解と、世界一周の暫定的なテーマは少しずつ見えてきたが、テーマをどう旅に落とし込んでいくかの解像度はもっと上げていきたい。

「世界へ旅に出る」という選択肢をとることが、町を去るという事実だけでなく、いま一緒に日常を過ごす高校生や町の人たちに、何かしらいい影響を残せたら嬉しいし、そのための仕込みもしていきたい

話はやや脱線するが、教育の周辺で、"教育"というものにひっそりと関われば関わるほど、「自分がいかに恵まれているか」に気付かされるし、外的環境に大きく悩まされたことも、強い欠乏感もない自分に何が伝えられるものかと、絶望感を抱くことがある。でも、恵まれてきたことは決して悪いことではないし、恵まれてきたからこそ見れる未来や選択肢もあるのだろう。だから、わたしはわたしなりに未来を描き、恵まれているにもかかわらず軽率に悩み揺らぐ自分に、どことなく罪悪感や絶望感を抱く日があったとしても、そんな言いようのない孤独感をなかったことにはせず、のんびりまた歩き出して、軽やかに可能性の海に飛びこんでいこうじゃないかと、最近は思っている。

世界を見れば、余計にそんな「恵まれた自分」と「軽率に揺らぐ自分」について考え、悩む機会もあるでしょうが、未来の自分よ、がんばれ。笑

そんなこんなで、先日からTABIPPOの世界一周ゼミに参加しはじめた。「旅の後のことは旅をしながら考えればいいや」と思っていたが、ざっくりとした方向性や考えられる選択肢を考えることで、残された生活のなかでできることも変わってくるなあと、初回ゼミに参加してみて腑に落ちたので、気長に、でも根気強くねりねりしていきたい。

こんな文章を書いておいて、結果的に「世界一周はやっぱりしなくていいや!」という結論になったらなったで面白いなあと思いつつ。笑

すべての講義が終わったときに、自分が何を考えているのか楽しみである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?