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歴史学との出会い⑥:まず問いあれ

アメリカン・スクールでの歴史の授業で、私の歴史に対する見方は大きく変わりました。

日本にいた時は、人名や事件などの事実の羅列であり、司馬遼太郎も好きだったので、物語という印象でした。

しかし、アメリカン・スクールでの歴史の授業を経て、歴史はなにより問いかけるものだと強く思いました。

そして、その問いには、正解はありません。

なぜなら、答えがある問いでは、そもそも議論にならないからです。

Aかもしれないし、Bかもしれない、というような問いに対して、立場を決めて、根拠を示しながら論じる。

それはただ事実を理解したり覚えたりすることに比べると、はるかに難しいことでしたが、思考する力として、自分の血となり肉となっています。

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