切手代40ルーブリの謎
河出文庫「ロシア怪談集」を読んだ。
この中にドストエフスキーの「ボボーク」という短編が入っていて、その中に気になる記述があったので今日はその話。
40通の手紙で40ルーブリの切手代がかかったらしい。
最初はそのまま読み飛ばしたけど、なんとなく引っかかった。1通で1ルーブリの計算だ。ずいぶん高くないだろうか。巻末の「原著者、原題、制作発表年一覧」によれば「ボボーク」の発表年は1873年だ。
同じドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」はおそらく1860年代が舞台で、物語の冒頭の方には(イヴァンとアレクセイを養育した将軍夫人が二人それぞれに遺した遺産)1000ルーブリが「教育も受けられる、そこそこ、ある程度はまとまった金」という感じで書かれている。本当になんとなくの大ざっぱな印象として、1000ルーブリが「そこそこ、ある程度はまとまった金」なのに、手紙1通の切手代が1ルーブリというのは高いような気がする。
Wikipedia の Postage stamps and postal history of Russia によると、帝政ロシアの最初の切手は1857年発行で額面は10コペイカだったらしい。
この10コペイカ切手で送れる手紙の重さは1ロート(約12.8グラム)以内だったそうだ。一番軽い一般的な書状のことだと考えていいと思う。
1ルーブリは100コペイカなので、手紙1通が1ルーブリだとすると、最初の10コペイカ切手の頃からおよそ16年の間に切手代が10倍になっている計算になる。急激なインフレーション……? いや、やっぱり少し違和感がある。
「ボボーク」の原題「Бобок」で検索して、ロシア語原文を見つけることができた。
ちなみに私はロシア語はほとんど分からない。「キリル文字がうっすら読める」程度だ。
なので冒頭から順番にGoogle翻訳に入力していき、該当箇所を特定した。(ああ、これが『カラマーゾフの兄弟』の中盤のどこか、とかじゃなく短編でよかった!)
「ある編集部に先週手紙を送ったが〜四十ルーブリもつかったことになる。」部分の原文がこちら。
これをGoogle翻訳にかけると「私は先週、この2年間で40通目の手紙をある編集局に送りました。 切手だけで4ルーブルを費やした。」と出てくる。
……4ルーブル(ルーブリ)!?
切手代40ルーブリが4ルーブリになっている。
念のために図書館にあった研究社の露和辞典で単語を調べてみた。
→ сороковое письмо 40通目の手紙
(ロシア語の形容詞は続く名詞により語尾が変化するので сороковой の語尾が ой から ое になっている)
→ четыре рубля 4ルーブル(ルーブリ)
つまりGoogle翻訳のとおり、手紙は40通で切手代は4ルーブリだと原文には書かれているらしい。どういうわけか日本語訳では4ルーブリが40ルーブリになってしまっている。
でもこれなら1通が10コペイカということになるので、1857年発行の10コペイカ切手と計算がぴったり合う。
河出文庫「ロシア怪談集」に収められた「ボボーク」の出典は新潮社の「ドストエフスキー全集17」(1979年刊)なのでそちらも図書館で確認をした。漢数字部分も含めて文章は河出文庫と同じだった。
もしかしたら全集から文庫に移すときの誤植なのではないかと思っていたけど、違うようだ。どの時点で4ルーブリから40ルーブリになってしまったのかは結局よく分からない。
とりあえず最初の違和感が正しかったことが分かったのでこの調査はここでおしまいにする。
帝政ロシアのゼムストヴォと呼ばれる地方自治機関で独自の地方切手を発行していたそう。2015年の150年前は1865年なので、ちょうど「カラマーゾフの兄弟」あたりの時代だ。
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