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連載『アラビア語RTA』#4

エジプト留学中の冬休み、1ヶ月間全くやることがなかった。この機会を使って、アラビア語の勉強をすることにした。雨の降り頻る冬のアレクサンドリアにて未知の言語にこれまで得てきた知識を使って立ち向かい、そして敗れた1ヶ月間の記録。

#1はこちら


2022年12月28日

今日は授業があった。冒頭から先生はくしゃみを連発。それがなんとも可愛らしい。頑張って抑えようとしてできるだけ小さく”くしゅん”としている。注文がうまくできないという相談をすると、授業の最後に教えてくれることになった。

今回は男性名詞と女性名詞の区別だった。初めて聞いた時は、アラビア語って男性と女性の区別あるのか、めんどくさいなと思ったが、アル・ハンドゥリラ。最後に「ة」をつけると女性、それ以外は男性名詞になるようだ。例外はあるものの「بنت」(女の子)のように明らかに女性の場合は女性名詞として捉えられるようだ。非常にわかりやすい。

教室にある椅子やテーブル、ドア、窓、壁などを男性、女性に分けて教わる。ちなみに名詞を指し示して「この」〇〇という場合の「この」にあたる表現は「ダ」と「ディ」があり、男性名詞か女性名詞かによって異なる。

先生が「エ・ダ(ディ)?」(これは何?)と聞くたびに、

「ディ・タラビーザ」(このテーブル)
「ダ・クルスィ」(この椅子)

のように答えていく。これを何度も繰り返した後、挨拶の表現を復習して授業は終わった。最後の最後に紅茶の頼み方を教えてくれた。先生はサラサラっと白板に表現を書いてマシンガンのような速度で読んだ。

「はい、これでO.K?」と聞かれたので、
「もうちょっとゆっくりお願いします。」や
「砂糖を入れたいときはどうすればいいですか」
などと質問した。最終的には色々教わることができた。これで立つ2歳児だと授業後カフェに乗り込むも結局

「ワヘド・アフワ」(1、コーヒー)

と注文していた。習ったからといってすぐに使えるわけではない。覚えるまで口から自然と正しい発音で出るまで練習しなければならない。

授業後には一つの予定があった。前日の夜にモロヘイヤのスープとパサパサの鶏胸肉をレストランで食べていた。エジプト人は肉に執拗に火を通す性癖があるようで何を食べてもこの火加減なのである。


モロヘイヤとパサパサな鶏胸肉

すると隣に座っていた、真っ白なヒジャブをかぶっている女の子が「おはようございます」とカタコトとは言え日本語で話しかけてきた。年齢は同じくらいだったが、少し幼くみえた。全くもっておはようという時間帯ではなかったがせっかくなので話を聞いていると日本語を独学で学んでいるようだった。

日本に留学したくて日本語を学んでいるのだが、先生が見つからない。どうしようと言っていたので、「ん、じゃあ教えようか?」と軽い気持ちで言ってしまった。しまったと思った時にはもうすでに向こうが喜んでいたので撤回もできなかった。

そんなわけで放課後にその子と会う予定になっていたのだが、これが完全に失敗だった。

彼女はまず待ち合わせに遅刻した。待ち合わせになって連絡すると、今から家を出るとのことだった。でも、遅刻くらい別に構わないので特に何も言わなかった。待ち時間は、何かすることさえあれば純粋な待ち時間ではなくなる。私は読みかけの本を読んだり、周りの写真を撮って歩いた。


待ち時間に出会った猫

30分が経った頃、彼女は母親とともに現れた。私はアラビア語で簡単な挨拶をすることしかできなかった。「怪しいものではありません」にでも相当する言葉を学んでおくべきだと思った。

母親はすぐに帰った。私たちは待ち合わせていたコワーキングスペースで勉強したのだがここがすごい場所だった。机と椅子のビニールが両方ビリビリに呼ぶれており、特に椅子はガタガタ。まあ、これも別に問題ではない。これくらいのことではいちいち驚いていられないので、特に口に出すこともない。

彼女は言った。

「日本語を教えた経験はあるの?」

「まあ、友人に教える程度なら。」

「カリキュラムとかは持ってる?」

「持ってないよ。何が勉強したいの?」

「日本語を勉強したい」

彼女は、テキストなどは持参していなかったので、紙にひらがなを書いて発音の練習をした。「ぬ」がどうしても「にゅ」に聞こえる以外は大体発音はできていた。

次に漢字に少しだけ触れた。曜日を表す漢字を一つずつ丁寧に教えた。大きなますをノートに書き、そこに1文字書いて発音してもらうという工程を繰り返した。小学校の先生が黒板に大きなますを書き、それを四分割したのち、漢字をその中に書き入れていた様子を思い出した。思えば小学1年生の頃は漢字なぞほぼ一つも知らなかったと思うと胸に込み上げてくるものがある。

ひらがな、発音、簡単な漢字を教えて集中力が切れたようだ。私たちは雑談をした。

「君は日本語を通して何をしたいのだ」

「日本に行ってみたい。留学でも旅行でもいいから。」

「なるほど。」

少しずつ違和感を感じ始める。

「留学に行きたいなら奨学金とかどうするの」

「わからないけど渡航するなら必要だと思う。何かいい奨学金知らない?」

最終的に彼女が言った言葉に耳を疑った。

「I really depend on you.」

一言で言うと、彼女には主体性がなかった。旅行に行きたいのと留学したいのは全く別の話だ。旅行なら簡単な表現と注文の仕方さえ覚えればあまり困ることはない。留学ならそれなりの語学力が要求される。

私は日本語を教えるプロではない。しかし彼女は「どの参考書がいいか」や「どう勉強したらいいか」「何を勉強すればいいのか」、「どんな大学や奨学金があるのか」などを私に聞いてきた。

漠然と〇〇語ができるようになりたいと言うのは目標ではない。この曖昧な目標を立てることは悪いことではないが、少なくともそれをいくつかの段階に分ける必要はある。さらに言うと、留学や奨学金、勉強法などについてはインターネットで10分も調べればそれなりに情報を得ることができる。その簡単な努力すらもなしに見ず知らずの人にここまで頼むのはあまりにも筋が違うのではないか。

私は今まで〇〇について調べて以下のような情報が得られた。また勉強はここまで進んだが、わからないことがあるので教えてほしい。と言われれば快く教えたのではないかと思う。

日本語母語話者として、日本語を学びたい人をサポートしたい気持ちはある。しかし今回のようなことが起こるならば、安請け合いはしない方がいいなと思った。そもそも、軽い気持ちで承諾したのは私なので向こうはあまり悪くない。

彼女はただ、日本語という遠い異国の言語に思いを馳せているのだ。そこには何のリアリティもない。切実さなんてあるはずもない。それは別に問題ではない。彼女は悪くない。然るべき人にお金を払っていくらでも教えて貰えばいいが、少なくともレストランでたまたま隣になった人に頼むべきではなかったのではないかと思う。

その人はその後解散となった。次は何時ごろがいいか向こうが聞いてきた。時間も決めてほしいらしい。これはおそらく私への配慮だろう。そう思う。結局金曜日の授業後に2回目の日本語講座を開催することにした。

正直かなり疲れていた。教えるのにも疲れていたし何より腹が減っていた。なんでもいいから腹に入れたかったのでホテルの近くを彷徨い歩いていた。すると一軒のローカルな店が目に入った。ネオンの看板が目を惹くその店は大通りに面しており、地元の人で賑わっていた。店のすぐ外で大きな肉の塊やレバーを解体しているおじさんがいた。キッチンも剥き出しになっており焼けた肉の暴力的な香りが食欲のスイッチを連打した。店員さんは唐辛子のキャラクターが印刷されている揃いの服を着て接客をしていた。私はその店に入ることにした。

それが間違いだった。まずメニューがアラビア語でしか書いてなかった。ほぼ理解不能な文字の羅列に面食らったが、落ち着いて携帯を取り出し翻訳機能を使った。しかしネットワークがつながらず検索ができない事態が発生した。空腹で冷静な判断力を失っているので、冷や汗が止まらなかった。元来人見知りで店員さんと話す時は緊張の頂点を迎えるような小心者の人間が、アラビア語でメニューの説明を求めるなんてできなかった。

この時空腹でなければ、メニューの食べ物を実際に見せてもらうとか、一旦外に行ってメニューを調べるとか、あるいは店員さんに助けを求めることができただろう。ただ、賑わう店の店員さんは常に忙しそうで、突然現れた異邦人を怪訝な顔で伺っていた。

よく「ガイドブックには乗らない名店」や「地元民が愛す隠れた名店」などをありがたがる人がいるが、そこは大抵地元の人々の生活の場だったりする。立ち回りやマナーがわからない状態で行くとそれだけで迷惑になることもあるだろう。旅行者は旅行者らしくツーリスティックな店に行くべきなのではないかと思った。

結局、電波が戻ったので翻訳機能を使って、それっぽいメニューを注文した。ひとあんしんしていると、運ばれてきたのは小さなサンドイッチ一つだった。軽く泣きそうになった。圧倒的に量が足りない。

だけれども、これで終わらせてしまったらこの店がトラウマになってしまう。今後一切この店に近づきたくないと思うかもしれない。そう思った私は追加注文を試みるためレジへと向かった。コシャリなら頼めるだろうと思い注文した。お金をレジで払って席に戻ろうとすると、そこにはすでに別の客が座っていた。行き場を無くした私はその場に立ち尽くした。

ここで私の気力は完全になくなった。私はサンドイッチの代金をレジの人に押し付けコシャリを食べないまま逃亡した。店の喧騒がしばらくこびりついていた。ただただお腹が減っていた。

私はよく行く近くの英語が通じるツーリスティックなカフェに行った。メニューは英語で書かれていた。ピザを注文した。

この店で注文したピザを食べながら、こんなことで心が折れる自分自身の温室育ちぶりに心底嫌がさした。




編集後記
昔以下のような記事を書いたことがある。

この記事は、アラビア語RTAをしていた頃の教訓をもとに書いた。大したことは全く書いていないが、意外に大事にしている。

おそらく、日本語を学びたいと言ってきた人に対して私はあまりにも多くのことを考えすぎていたように思える。もっと楽しく日本語に触れてもらえればよかったじゃないか。優しくすればよかったじゃないか。口には出さなかったにしても、なぜあんなことを思っていたのだろうか。

それはひとえに自分の勉強がうまく行っていなかったからだ。このレポートの原稿を読んでそれをタイピングしていると、過去の自分の度量の狭さに腹が立ってくると同時に、もっと根本的に何かを変えなければならなかったのではないかとも思う。あの時の私は疲れていた。それも芯から疲れていた。今言われても何も思わないことでも、当時はいちいちひっかかっていた。

うまく注文ができないことも、留学が終わることにはほとんどなくなっていた。しかしこの時は本当に右も左もわからなかったのと、空腹で正常な判断力を失っていた。

この時に得た教訓として、「逆転を狙って負けを広げない」というものがある。要するに、万全ではない状態でそもそも挑戦するべきではないし、うまくいかなかったらキッパリ諦めて出来るだけ早く普通の状態に戻れるようにすべきである。変に挽回しようとしても結果うまくいかず負けを広げることが多いなと学んだ。

今回の場合だったら、サンドイッチが出てきて食べ終わった時には店を出て、普通に注文できるカフェに行くべきだった。わざわざそこで取り返そうとしたことが間違いだった。そんな不安定な時にうまく行くはずがない。





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