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連載『ロマンスはカイロにて』 #4 「写真家」ムハンマドさん



大学3回生の冬休み。寒さの厳しいアレクサンドリアを脱して、「恋するダハブ」という異名があるリゾート地に逃避行した。そこでの出会いと束の間の日常を描く。
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店は歩いてすぐの通りにあった。店の入り口には壁やドアはなく開放的な作りとなっており、奥にキッチンと料理がビュフェのように並んでいる。注文をするとそこから手早くサンドイッチを作ってくれる。路上にテーブルや椅子がいくつか置いてあり、そこで食べることができる。私が覚えたてのアラビア語で、

「アナ・アイズ・ターメイヤ・サンドイッチ(私・ほしい・空豆のコロッケのサンドイッチ)」

と注文した。たったこれだけ言えるだけで、エジプトでの生活は驚くほどスムーズになる。

「おお〜すげぇ」

と、先ほど知り合った男性に言われる。私たちはお互いのことをほとんど知らない状態でごはんを食べた。飯を食べ終わり、私たちはアフワ(ローカルカフェ)に移動した。

ごはんを食べて一息ついたことから、アフワでポツポツとお互いについて話した。

「今何歳ですか。」
「29です。」
「私は21です。」
「若いな。」
「そうですね。」
「仕事してるん。」
「ここで留学してます。」
「エジプトに、、、留学?」
「はい。留学です。」
「また、なんてったってこんなところに」

私はエジプトに留学した理由を聞かれると答えに窮してしまう。留学申請締め切りの前夜に、なんとなく留学ができる大学のリストを発見し、その一番上に載っていたThe American University In Cairoという大学に応募しようと決めた。本来なら第三志望まで書くことができたのだが、志望大学一つにつき長いエッセイを英語で書かなければなかったため、徹夜でエッセイを仕上げ、この大学のみ申請した。

正直何かを変えたかったのだとも思う。コロナで大学に通えず、友達と呼べそうな友達はほとんどいなかった。大学の勉強もうまく行かず、一日中家に引きこもり、この世で連載されているすべての漫画を読んだ、と言っても過言ではないほど毎日漫画ばかり読んでいた。布団から出るのが辛い日もあった。

アフリカやアラブと言う響きも甘美に感じられた。留学先のリストは、中国や韓国などどのアジアの国々が大半であとはほとんど北米かヨーロッパだった。アフリカでは他にモロッコと南アフリカがあったが、南アフリカには半年しか留学ができないとのことだったので、カイロに行くことに決めたとも言える。

文化人類学の授業を履修するためだったとも言える。私の大学では文化人類学の授業はあるにはあるのだが入門しかなく、専門的な内容を学ぶのは独学以外に不可能だった。また私は当時視覚人類学と言う分野に興味があり、それを専門にやっている教授がいる大学に行きたかったと言うものもある。

物事は多面的であり一神教的な神の存在でも持ち出さない限り単純な因果では語れない。当初、偶然だった留学も、今では必然となり、日常に溶け込んでいる。ともかく、こんなことを初対面の人に言うと変な顔をされてしまうので

「リストの一番上にあったからですね。」前半部分をかいつまんで答えた。
「ってかお名前はなんですか」
「〇〇です」

男性は名前を答えた。ただ、しばらくしたあと彼が子どもに名前を聞かれ「ムハンマド」と名乗っていたため、私は彼をムハンマドさんと呼び始めるようになった。ムハンマドさんに私は職業を尋ねた。

「なんもやってないな」

と言う答えが返ってきた。29歳無職。

「本当に何にもやってないんですか?」

よくよく掘り下げて聞いてみると、彼は写真家で、ワーホリやアルバイトをしながらお金を貯め、海外に出て写真を撮っていると言う。

「まだまだ全然写真で食べていけるようにはなってないんだけどね」

と彼は言った。彼からは全く焦りのようなものが見えなかった。言動が落ち着いていて淡々と事実を述べていた。おそらく一般的な感覚から言えば、29歳といえば就職してから数年が経過し、会社の中でもそれなりのポジションを取りはじめるポジションだと思う。結婚や出産を経験している人も少なくない。そんな中、定職につかず自分のやりたいことをひたすら続けているムハンマドさん。私は彼に好感を持った。

「今回はドナウ川沿いを旅してそこで写真を撮ったんやけど、納得できるようなものができへんかった。」

「ほえー。っていうかどんな写真撮るんですか。例えば、F値が高い写真が好きとか、明るい写真が好きだとか、広角が好きとかそうゆうのありますか。」

私は、趣味で写真を撮るので「写真家」と言う肩書きの人が何を考えどのように写真を撮るのかについて興味があった。

「うーん。設定とかそんなんどうでもええなぁ。基本オートやし。どっちかというと現代アート寄りの写真が撮りたいねんな。綺麗な写真を撮るのはカメラマンの仕事であってアーティストの仕事ではないねんな。」


私は「カメラマン」と「写真家」の違いなんて考えたこともなかった。彼の定義によるとカメラマンとはクライアントの依頼に答え、彼らが望む写真を経験と技術を使って撮影する人のことを指す。街の写真屋さんで証明写真を撮ったり、成人式の前撮りをするときなどに写真を撮ってくれるのがカメラマンである。

対して、写真家とは、「アーティスト」である。アーティストであるということは、前時代の価値観を芸術的な創造によって乗り越える人々のことを指すが、写真家はカメラという媒体を使って(時には使わずに)写真を撮影し作品を発表する。

どちらもカメラを使って写真を撮影するという点では共通しているが両者は根本的にかけ離れている。

「設定をあまり気にしていない」というムハンマドさんの発言にいささか拍子抜けしてしまった。写真家という人種は、設定を緻密に組み上げ表現したいものを常に追い求めてるものだと思っていたからだ。「現代アート」という一見してなんだかよくわからないものを、定職につかず追求し続けているムハンマドさんにますます興味が湧いた。

カフェの勘定はムハンマドさんが出してくれた。「今日だけな」と言っていた。

に続く

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