私が「ミニマリスト」になれない理由 その1
↑写真 「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」
私はいわゆる「ミニマリスト」ではない。
去年、一昨年くらいまでは、「マキシマリスト」だった。
(「ミニマリスト」の逆の意だそう)
今も全くもって「ミニマリスト」ではないし、たぶん「ミニマリスト」になるのは無理だ。
ただ、「マキシマリスト」の域からは脱している(と思う)。
東日本大震災後から、「ミニマリスト」を名乗って、モノを極限まで減らして生活する人がけっこう増えだした。
しかし、コロナが流行しだして、緊急事態宣言が発出されて食料やマスクが店からなくなっていくのを見て、ミニマリストを名乗らなくなった人もいるそうだ。
その頃の私は「それ見たことか」と思った。
ただそれと同時に、やっぱり必要なモノは必要だから持っておくべきだし、削れるところは削るべきだということを思うようになったのだ。
以前の私は、ミニマリストとは真逆で、モノにあふれた生活をしていた。
モノの中からGやNは全然出なかったにしても(さすがにそこまで汚くはない)、部屋の中は「汚部屋」状態。
さすがにこれはあかんと思い、引っ越しを機に断捨離をした。
今はまだまともになったけど、前までは本も積ん読を含めて相当数の蔵書だったし、資料や紙類も段ボールにして数箱分あった。
(そのほとんどは宅配型トランクルームに預けていた。あれは便利ですよ)
コンセントやコード類、雑貨、着ない服、バッグ、調味料、食器類・・・
とにかくモノにあふれ、散らかりまくっていた。
その当時からすれば7割〜8割は売るなり捨てるなり処分出来たので、見違えるほどモノは減ったが、それでもまだ紙や本はミニマリストの定義からは到底及ばない。
紙類はスキャン出来るものはスキャンしているが、個人情報が書かれてたり、仕事で使った書類など、ひと手間かけて捨てなければならない紙もある。
(それをいっぺんに捨てるための段ボールが部屋に1つある)
それと、捨てたらアカン書類ややむを得ず捨てられない書類(保証書とか保険証券とか←こういうのこそもっとデジタル化してくれ)があり、その数もそこそこある。
・・・私がミニマリストになれない、言い訳、いや、「反論」的な文章、もっと書けそうな気がしてきたので、明日以降しばらく続けます。
【昨日の1日1新】
スターバックスコーヒー上尾壱丁目店
上尾道路
熟成背脂黒すた丼
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