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あなたが立っている今の場所は、誰かが叶えたかった未来

こんにちは。えぐらんです。
今日はずっと書きたいなと思っていたことを徒然と書きます。それはあなたの今立っている場所は誰かの叶えたかった未来であること。そしてあなたが目指している未来は他の誰かの叶えた今ということ。

私はRADWIMPSというアーティストが大好きです。歌の歌詞も曲調も、たまにふざけた歌詞も、恋焦がれる歌詞も、人の心理を追求するような鋭い歌詞も大好きです。RADWIMPSは新海誠監督の「君の名は」の映画でブームも起きたのでご存じの方も多いかもしれません。私は大学時代からRADWIMPSを歌いまくって、ドライブでは友人に聞かせて布教するくらいでしたから、私の脳にはRADWIMPSの歌詞が焼き付いています。

そんな私の1番好きな曲は「セプテンバー」その次に好きなのか「夢番地」です。冒頭の文章はその夢番地からの言葉です。

私が目標に向かって突き進んできたこの1年のことと、今のこと、それらを思い返すときにバックミュージックで流れるのが「夢番地」です。

今日はこの「夢番地」と今思っていることを書いていきます。お付き合い頂けると嬉しいです。

それだけじゃ物足りなくなって。

夢番地は全ての歌詞が本当に良いのです。
良ければこちらをご覧ください。(リンク)

私はよくこの歌詞を反芻します。

息を吸って、そして吐いて、それだけじゃ物足りなくなって。欲しくなって あれも これも あの人のも だけど 僕にあって 君になくて 君にあって 僕にない物があるから

RADWIMPS 夢番地

それと

僕が立っているここはきっと誰かの願ってる場所で 誰かが立っている場所がきっと僕の望む場所で

RADWIMPS 夢番地

私たちはきっと「今」の自分ほどよく分かってない。つい過去を考えたり、未来に希望を託したり。それはきっと「今」に注目してないし「今」自分ができることに感謝してないから。

私たちはきっと他の誰かを見てあの人のようになりたいと思う。そしてそれが叶ってもまた違う夢を見つけてその人のようになりたいと思う。で、いつも渇望感がある。「今」に満足することがない。それは人としてプログラミングされているんじゃないかなと思う。

原始時代から私たちは「今」に満足したら生き残れなかった。新しい狩猟場を探さねばならないし、農耕時代も災害と戦ってきた。国はいつも新しい土地を求め戦い続けてきた。そんな私たちは「今」に満足したらいけない、常に新しい何かを取得せねばならないと思い続けたのではないのでしょうか。

だから私は何もしてないと「虚無感」に襲われます。何か夢に向かって努力していると「充実感」を得ることができます。充実感が得ることができるのは今の問題を打開した先にあるのではなく、その先に向かって努力をしているときだと私は思います。


暇になるということ

先日時間管理の雑誌を読みました。そこでは「暇な人ほど悩み、「時間がない」と言っている。夢や目標があり、そのために努力する段階でやらないことを決め、時間を作ることができ、時間に余裕が生まれる」と書いてありました。

私自身が全くその通りでした。2歳の娘がいて家事と育児と仕事をして、自分の時間がないと言っては漫画を読んでいました。最近目標を作って努力するようにしたところ通勤時間も娘の寝かしつけ後も勉強し、朝はランニングとジムで筋トレするという昔からは信じられない時間の使い方をしています。

それは夢に向かって努力しているからです。

しかし最近少しその夢を叶えてしまいました。まだまだ夢の先はあるのですがある程度形になったのです。「家族関係良好」「仕事の人間関係良好」「仕事で自分のやりたいデータ分析の仕事をする」3つの目標を叶えることができました。そうしたところ、なんかやりきったな〜と思い燃え尽き症候群のようになってしまいました。

今その燃えつき症候群と向き合うためにこのブログを書いてます。

今の自分の立っている場所はまさしく過去の自分が願ってやまなかった場所です。それなのにその場所に立ってみると満足はないんですよね。私は立ち止まると虚無感が襲ってきます。


虚無感の正体とは?私は走り続けるのか?その先に何があるのか?

私にとって虚無感とは次にどこに進めばいいか分からない不安でした。

学生の時は受験や部活の大会の目標、学生団体のゴールが明確にありそのために努力ができました。就職活動も。どのような努力をすれば良いか情報も溢れていたのでそれになぞって努力することが好きだったのです。(出産と育児(3歳くらいまでのトイトレとかひらがなを教えるとか)もある意味ゴールが明確でしたね。)

しかし社会人になった途端ゴールが分からなくなってしまいました。うちの会社は自分でキャリアデザインします。でも自分で作るのに部の方針と合ってないと色々言われるので忖度したキャリアデザインです。結局自分が目指していないものを自分の夢と言わないといけない状態にモヤモヤするんですよね。だったら上作った押し付けキャリアデザインとしてくれた方が納得いくのに。中途半端でモヤモヤする。

今度もう一回作ってみようかな。これでなんか言われたら起き上がれないな。そんなふうに思ってしまいます。


私は自分の得意と好きを組み合わせるとデータ整理になります。そこをレベルアップさせてデータ分析をやりたいと思っています。

ただうちの部署でそれをやっていいのか不安です。データ整理までは上司から指示されていますがそれをデータ分析することまで求められていないからです。でも先を目指すなら私の夢はデータ分析。やっぱりそこに向かっていきたいと思いました。

そのためなら会社の勉強もできるし、自部署の商材の勉強も頑張ろうと思えます。

しかし「データサイエンティスト」という職種自体近年できたものなのでロールモデルがありません。この先どうなるかもわかりません。それでもそこに向かってやる努力はきっと私の筋肉となり、もしこの職種がAIの時代で飲み込まれたとしても他の仕事をする筋肉になっているはず。

つまり私は走り続ける理由は「データサイエンティスト」になることだけど、それが今の会社で求められていない場合転職したっていい。でもできれば今の会社に居続けたい。そのために「データサイエンティスト」の影響力を会社で強くする必要がある。「データサイエンティスト」である筋肉をつける必要がある。そう思うのです。

走りつづけた先には「データサイエンティスト」になれないかもしれない。それでもそのために努力したことはきっと私の筋肉になるし、そのために努力している時間は充実感になる。

行き先の分からない未来は不安です。それでもその未来が分からないのはきっと皆さんも一緒だと思うのです。それなら今の努力は方向性を変えても私を形作る筋肉になり決して無駄にならないと思えれば、一歩踏み出せると思うのです。


私にとって譲れないものは?ミイラ取りがミイラにならないために。大切な自分のライフゴールを明確にする。

このように努力しようと思う時、不安になるのがミイラ取りがミイラになることです。例えば家族のために仕事に精を出したのにその仕事に時間をかけすぎて家族を蔑ろにしてしまう。それが原因で離婚なんて悲しすぎますよね。

だから私は努力すると共に「ライフゴール」を明確にする必要があると思っています。ライフゴール、人生の道標をしっかり立てておかないとミイラ取りがミイラになってしまうと思うのです。特に人の時間は限られています。その時間をしっかり毎日確保することは絶対だと思うのです。

私にとってのライフゴールは

  • 家族3人で笑って過ごすこと

  • 夫と2人で仲良く過ごすこと

  • 娘が活き活き毎日を楽しく過ごし私に悩みや楽しいことを教えてくれること

  • 家の中がいつも綺麗で気持ち良いこと

  • 仕事に充実感があり、楽しく仕事をすること

  • 友人を家に呼び、生涯付き合える友が複数人いること

こんな感じでした。ライフゴールにしてみると仕事は6個のうちの1つだし、楽しく仕事をしたいというのが私のゴールだったんですね。

今はその仕事のための時間確保のために娘の時間を最小限にしています。でもきっとこうやって言葉にしてみると家族の時間が私にとっては大切なんだなと思いました。もうミイラ取りがミイラになりかけてましたね。家族の時間を大切にしたかったのに家族の時間を犠牲にするという。汗

家族の時間は笑ってられるだけではありません。娘が熱を出したり、夫と口論になることもあります。それでもきっと家族で楽しく過ごす時間を毎日重要視して、娘の話に耳を傾ける時間をとって、ライフゴールを「今」叶える毎日を過ごしていきたいと思います。


誰かにとって叶えたかった未来が今のあなたのいる場所です。
あなたは満足していないかもしれません。それでも叶えた夢もたくさんあると思います。
それらの夢も大切にして、叶えたい夢をもう一度考えて、今日を生きてみませんか。


叶えたかった夢も、叶えたい夢も、叶えた夢も、全てがあなたを形作っています。
きっともうあなたは十分に頑張っています。
今あるものに感謝し、そして次のステージに叶えた夢を両手いっぱいに掴み、こぼさないようにしながら歩み続けましょう。

私も叶えた夢をこぼさないように、大切にしながら、次のステージに一歩足を踏み出します。

読んでいただき、ありがとうございました。

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