事業のつくりかた。

昨日のブログで、「あんまり、自分のやっていることを素晴らしいことだとは思わない方がいいです。」と書きました。
これは仕事で会う人に度々言うことでもあり、ぼくのブログの読者なら何度も出会っている内容です。

仕事で人と出会って、その人の事業を説明してもらうとき、必ずと言っていいほど、人は自分の仕事に価値があるように話します。
当然と言えば当然なのですが、これが度を超えると、人を傷つけても平気になっちゃうんですよね。

ぼくは福祉関係や地方創生関係の人と会うことが多いのですが、その人たちに顕著に見られる傾向があります。
「反対にあるものを否定して話す」のです。
福祉であれば対象者以外の人や暮らしを否定し、地方であれば都会を否定します。
その上で、自分たちの行いや事業がいかに価値があり、素晴らしいかを話すのです。

目の前にいるぼく(他人)を説得したいのはわかりますが、これではぼくの心は動きません。
むしろ、反対を否定する片棒を担ぐのは御免です。
そして、対岸にあるものを否定しながら話をしている人たちって、楽しそうに話さないんですよね。
笑っていないんです。
表情が強張っているんですよ。

こういうとき、ぼくは最初に書いたことを話すのです。
すべてのことは「自分がやりたくてやっているだけ」です。
どんなに素晴らしい事業も、どんなにつまらなそうに見える事業だとしても、みんなやりたいことをやっているだけという意味では、同じです。
苦しい状況、面倒臭い状況を避けるために、つまらない仕事を選んでいたとしても、「避けたい」と思っているのは自分自身なのです。
そういう意味では、人格者も犯罪者も同じです。
これを覆したかったら、機械になるしかありません(AIが欲望を持ったら知りませんが)。

自分の事業や行いが価値あるものと思う前に、自分や事業が誰を幸せにしているのかを考えた方がいいです。
誰かを傷つけたり、誰かに我慢を強いて、他の誰かを幸せにしていたら意味がないですからね。
みんなが平等に弱者になって死んでいく、そういう世の中は息苦しいでしょう。
すべての営みは、立派なことじゃないんです。
すべての営みは、自分がやりたいからやっていて、だから楽しくて、だから、誰を幸せにしているかが大事なんです。
みんなが平等に弱者になるんじゃなくて、誰も傷つけないで、誰かを幸せにする方法。
これが事業になるのです。

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